船場吉兆の食べ残し流用

大阪市中央区の料亭船場吉兆本店が、客の食べ残しの料理を別の客に使い回ししていた問題。

最近読んだ小説のなかに、カクテルのチェリーは使い回しているので絶対口にしないという描写があった。パセリやレモンの輪切りなども使い回しは日常らしい。ラーメン店では客の飲み残したスープまで流用するという、おぞましい噂も聞いた。

食品の再利用は食品衛生法違反ではない。たとえば賞味期限内であれば、返品があった和菓子を再包装して売ることも可能だ。だが、今回の場合、魚や肉など一度加工した生鮮食品だ。へたすると同じものを二度、三度も出していたのではないかと推測される。

高い値段を客に払わせていたのに、その一部が使い回しだったと知ったら、客は激怒するであろう。しかし、経営が傾く前に客はこうした異常事態に気づき、客足が遠のいていったのではないだろうか。目利きなら料理の新鮮度や味のおかしさは、一発でわかる。わずかな手落ちで信用を落としてしまうことは多々あるのだから。

しかし、いっぽうでこの問題の背後には、食べ残しを美徳とする飽食文化が影を落してもいる。
以前、とくに戦後貧しく食糧難の時代には、こうした流用は問題視されなかったであろう。また高級料理がこうした苦肉の策にでてまで経費削減に走る裏には、日本の食品が異常にプライスダウンしてきた背景があり。また食品よりもブランド品や情報機器などにお金を回すようになった傾向があげられるかもしれない。

あらゆる社会問題には、一面的には語れない心理が複雑にからみあっているのかもしれない。

【2008/05/07 00:33】 時事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

ドラマ「花衣夢衣」

きょうは振替休日でもう一日お休みなんですね。
だからというわけでもないですが、久しぶりに昼ドラを観てしまいました。

レディースコミックの旗手、津雲むくみの漫画が原作の東海ドラマ「花衣夢衣」。
数奇な運命に翻弄される双子姉妹の愛情を描くものだそうです。例によって、双子姉妹がひとりの男をめぐってという三角関係なんですね。この構図はNHKの「ふたりっこ」でも、おなじみなので格別新しさはございません。しかも、きっと、最後は姉妹愛を貫くためにヘタレな男を棄てるというオチが見え見えです。「麗しの鬼」が好例でしたし、きっと「牡丹と薔薇」のヒット作を期待しているんでしょうね。

友禅作家として独り立ちした双子の姉、その姉のかつての想い人と結婚し子をなした双子の妹、家庭があるのにかつての愛が忘れない諦めの悪い呉服問屋の跡取り息子というのが、メインキャスト。もう典型的なカップリングですが、この双子の両親まで不倫だったり、旦那の病弱な弟との微妙な兄弟愛があったり。またその病弱な叔父にほのかな好意をよせる姪っ子がいたり。主婦が好きそうな波瀾万丈愛のイベントがふんだんにもりこまれています。
しかも、この双子姉妹の生き方の基軸にある、不幸のひとつが暴行事件でした。この原作漫画家の代表作はなぜか、ヒロインが暴行にあうものをよく扱っているのですが。それは主婦の襲われ願望をそそるという編集部の意向なのか、それともこの漫画家自身が性被害をのりこえて果敢に生きるヒロイン像を提示しようとしてみせているのか、どちらなんでしょう。

ところで、最近のドラマってやたらと漫画原作ものが多いですよね。脚本家が漫画しか読まなくなったのでしょうか。それとも現代小説よりも漫画の方が表現が豊かであったことに気づかれたのでしょうか。
「花衣夢衣」の原作が連載されたのは九三年から二〇〇〇年にかけて。終戦後すぐから物語はスタート、双子の老年期まで追うということですから平成近くまで続くスパンをもっているのでしょう。昭和リヴァイヴァルを求める中高年世代にはウケそうですよね。着物や和風テイストをご婦人方にも喜ばれそうです。でも、話の筋としてはすごく、やりつくされた感が否めない。

今日みた話ラストでは、双子の妹の長男が交通事故で死亡。亭主ははげしく妻をなじりました。双子で交通事故死って、もうベタですね。どうせなら、霊安室で「きれいな顔してるだろ、それ死んでるんだぜ…」とかつぶやいてくれたらおもしろかったのですが(ありえない)
で、この旦那は哀しみにくれて次回、スナックのママと浮気したり、想いが断ち切れないでいた双子の姉にもまたふたたび攻めてくるようです。あと、双子姉妹の母親に家庭をこわされ、実母を自殺に追いこんだ恨みからなにかと復讐しようとする男もでてきます。

双子の姉の師匠は人柄のできた人間のようですが、作中登場する殿方はほとんど、情けなかったり、あくどかったり。ひとりだちする女性が生きていくなかで、おしなべて世の男性こそは障壁だとうけとられているのでしょう。一途な男性からの愛も度を過ぎると、女性への暴力となり、また足枷ともなってしまいます。

なにか、こういう夫の無能っぷり、女心を解さない横暴ぶりを描き立てるドラマのせいで、離婚率やシングルマザー率がはねあがっている気がしますが、どうなのでしょう?

【2008/05/06 15:33】 時事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

平和運動家・小田実の遺志

毎週日曜は夜九時からのN響をたのしみにしている。が、たいがい聞き流しているだけなのだけれども。平日ラジオから聞く、ベストオブクラシックのほうがなぜか耳に残りやすい。やはり知覚をひとつに絞っていると、神経が研ぎすまされるのだろうか。

それはともかく。このN響のあとのETV特集がきょう(三月九日)はおもしろかった。作家にして反戦運動リーダーの小田実を扱っていた。番組をみて、この希有な作家を寡聞にして知り得なかったことを、私は恥ずかしく思った。
〇七年七月三〇日に逝去された彼の生前を追い、死の半年前の入院中の声を遺してものを流したものだった。その七十五歳の生涯に私はひたすら感動した。

一九三二年、大阪市に生まれた小田は、東大教養学部でギリシア古典文学を学び、ハーヴァード大学に留学する。彼の唱える民主主義の原型は、戦後アメリからのお仕着せではなく、古代ギリシアのデモクラチア国家にあるのだという。
留学先の図書館で発見した文書が、その後の彼の生涯にわたる反戦活動を後押しするものとなった。少年時代身をもって体験したあのおぞましい大阪空襲。それが米国の当時の新聞ではどうとりあげられていたか、マイクロフィルムを調べたのだ。そして驚嘆する。戦中の報道規制が敷かれていた日本とは違い、その当時のアメリカ人にはその空襲が、化粧品広告などが両脇をかざるふだんどおりの誌面にまことにちいさな事件として扱われていたことに。とくに四五年八月十四日の大阪空襲は、長崎広島の原爆投下でも煮え切らない日本国政府に降伏を促すためにおこなわれた。この二十時間後に日本は敗北を宣言、天皇の玉音放送を流す。
小田はいう。このとき犠牲になった市民は日本国の体裁をまもろうとする政府の意固地のために無意味な死をさせられたのだと。これが彼のいう「難死」という概念なのである。喜びをもって決意ある死をむかえた「散華」などではない、むやみに奪われた命なのである。

米国遊学を終えて、二十七歳の小田は一年あまりヨーロッパ諸国を一日一ドルという貧乏旅行をする。このときの体験談をまとめた『何でも見てやろう』がベストセラーになり、売れっ子作家として名をあげる。が、ここで小説を書くだけの筆耕におわる人間ならば、そこらの並みいる文士と彼はなんら変わることがないであろう。彼がすごいのは、日本を外側から眺められる視点を身につけていたということである。六〇年代後半にふたたび故郷の土を踏んだ彼が目にしたのは、安保闘争にゆれる日本の同世代の若者だった。が、彼はそれにはくみしなかった。その闘争がただ、日本のことだけ考えている連中のエゴにしか思えなかったのだ。

その彼は、ベトナム戦争時には、「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)を結成し、哲学者の鶴見俊輔らとともに反戦キャンペーンをおこなった。また、阪神大震災時には、家屋が倒壊し一年経っても仮設住宅でつつましい生活をしいられる人びとを見かねて、震災じたいは天災であるが、その後の被災は人災である。道路や商業施設の再建は急ピッチですすめるのに、被災者を公的援助しないのはおかしいと国に異議申し立て。街頭演説をおこない、憲政史上類をみない述べ二五〇〇万人の署名をあつめ、百人以上の賛同国会議員の支持をえて、被災者支援立法の成立にこぎつけた。
彼がすばらしいのは、多忙な執筆業のかたわらで、やむにやまれず市民の声を代弁するがためにたちあがったのであって、けっして自身の喧伝に活動してきたのではないということだ。著作にして日本の弱みをあれやこれやとあげつらうがまったく行動力のない口舌の徒、またいっぽうで、市民生活を変えると公言しておきながらじっさい当選すると公金での安穏な生活に飼いならされて民意を損なってしまうえせ政治家。そうした輩とはまったくことなった、まことの憂国の士であるといえよう。

小田は訴えている。日本人は自国をけなすけれど、我が国こそはアメリカ譲りの民主主義と自由に、平和主義を融合させたまれにみる良国なのだ。先進国で軍需産業が産業の中心にないのは日本ぐらい。だから国民はそれを誇っていいいはずだと。
なのに、日本はいまだアメリカ、しかもブッシュ政権のころのアメリカにすがりつこうとしている愚かな国なのだと。アメリカこそは、民主主義だの自由だのを旗印に正義の名の下に、あの9・11事件を利用して、イラクやアフガニスタンなどの侵略をおこなった犯罪国家なのだ。アメリカ国内ですらもその行為に参じ得ていない、そして、EUやラテンアメリカ諸国は米国の世界統治からたくみに逃れようとしている。なのに日本だけが、このおぞましきモンスターに参与して持ち上げているのだと。たとえば、日本がほこるすばらしい社会保障である国民健康保険制度をアメリカはつぶし、米国の保険商品を売り込もうとしているだと。これにはうなずくところしきりだ。とくに先般の沖縄少女米兵暴行事件の世論の反応などをかんがみるに、だ。日本の政治家は国家を売り渡そうとしているとしか思えないし、アメリカ型消費生活になれた日本人は、ひとりの被害者の愚行をせめて事をあらだてないようにしている。
こうしたアメリカの走狗になることの懸念を、小田は国民の政治的無関心に因をもとめている。ポルトガルの作家サラマージいわく「二〇〜二五パーセントの投票率で当選した政府が国家をめちゃめちゃにする」。彼は国民投票率の最低数を規定し,それを下回った選挙は無効にする法案を提唱している。全権委任されていない政治システムで、少数者の独裁政治がおこなわれるならば、それは偽りの民主政治なのだと。

大震災の罹災者への思い、ベトナム北爆への怒り、イラクへの派兵反対。彼の行動の根底をながれるのは、少年時に遭遇した大阪大空襲での「難死」であったのだろう。国によって民が殺される。先進国の正義によって、農業国が爆撃される。すべておなじ死の痛みである。彼は憂えていた。戦後の焦土から復興し、平和で豊かな「中流」の生活を手にした日本が、資本主義の深みにはまり、かつての戦前国家のころのように富国強兵の道をあゆみだしてしまうことを。
そして、国家の倫理のたがが外れた暴走を阻むためには,市民の団結と行動が必要なのだと説いている。それはお上に窮状をうったえてお願いする姿勢ではない。法律を市民の権利としてつくる市民立法の重要性を問う。震災の生活再建支援法にしても、小田みずからがいち市井の人として原案を起草し、国会議員全員に送付したのだという。その努力には頭が下がる思いだ。

盟友の鶴見俊輔いわく、小田実は、ポリフォニーの闘士なのだと。自身に異をとなえて挑む者にしても、その声をすいあげて、一冊の本にしてしまう。自分の主張を、多くの群衆の言葉にかさねあわせて、ひとつの大きな声とする多声音楽のような調和能力があるというのだ。
その態度は、彼自身の私生活にもあらわれている。在日朝鮮人の細君を娶るなど、その意思は国際的なボーダーラインを超えている。それは彼自身が、日本の愛国心─むいみな嫌国精神ではなく─からのアウトサイダー的存在をつらぬいているからであろう。議員バッジをつけない、もしくは国家権力にまもらない学識者として、在野の立場から国会をうごかしてきた姿勢には尊敬の意を禁じえない。作家やタレントあがりで政治家になって、国民の怒りをあおるような言動をしている先生がたは彼を見習うべきだろう。

その彼が、最期を悟って、ひとり娘の小田なら嬢に語りかけている姿がとてもほほえましかった。さらには、没後のインタヴューでその彼女が父を語るのに声をつまられせている姿には、ひとしれず熱くこみあげてくるものがあった。

この番組はおそらく、三月八日にひらかれた九条の会の追悼講演会をうけて放映されたものなのだろう。作家個人のHPによれば、小田はタイム誌の特集「Asian Heroes」の中で、日本の顔5人の1人に選出されたのだという。こちらを参照。こうした草の根に暮らして、われわれ市民と声の高さを同じにして、しかし低いところで安んじてはいなかった。彼こそは不器用にも政治にうったえる術をしらない民衆を導いた真の弁士であろう。
こういう気概をもった人権論者がまたひとりと世を去ることを悲しまねばならないとともに、われわれはその意をくんで彼のいない平和に築かれた世界の維持につとめるべきなのだろう。
ライブドアの追悼記事によれば、大手新聞社やテレビ局など大手マスコミが政治と癒着し、氏のおこなってきた活動を隠蔽してきたことを暴いている。さらに、市民がひとりひとり意見をもち発信する市民メディアとそこからの反戦運動の高揚を訴えている。おそらく個人単位のブログや電子掲示板などがその役を担うであろうが、市民の言質がまだしも軽い現今にあって、まだまだ課題は多いといえるだろう。自分のブログ活動を反省させられる痛言である。

ところで、このETV特集次回の三月二十三日放送予定は、国立民族学博物館の特集であった。これも興味深いテーマ。しばらくテレビ番組に興味などおぼえなかったけれど、けっこう良質な番組はあるものだと。まだまだマスメディアも捨てたものではないと考える。

【参照サイト】
「小田実さんの志継ぐ」 九条の会が追悼の講演会(中日新聞、〇八年三月八日)
作家 小田実のホームページ - OdaMakoto.com
【追悼】小田実さん死去。生前、パブリック・ジャーナリズムの方向性語る(ライブドアニュース、〇七年七月三〇日)

【2008/03/10 06:16】 時事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

消えてゆく合格祝いの風景

国立大学の前期試験の合格発表がはじまっている。私も十年前のことをなつかしく思い返してみる。あの合格発表をみたとき、長い長い十代の冬のトンネルを抜けて、やっと春の国にたどりついたのだと思っていた。

その合格掲示板が、近年、各大学で消える傾向にあるという。私立ではほぼ皆無、国立でも減少気味で、ゆいいつ、東大だけがこの伝統をまもっているようだ。
携帯サイトや大学のホームページでの発表が増えると学生がわざわざ見に来なくなり、掲示板の設置に手間と経費がかかるのでとりやめたそうだ。

不合格の学生にとっては落胆した表情をみられなくともすむという利点はあるが、やはり人生そうなんどもない喜びの風景。掲示板の前で自分の受験番号とともに記念撮影したり、友人と肩を叩きあったり、歓喜の抱擁をしたり、そしてまた胴上げをしたり。そういう晴れ晴れしいイベントの状景がみられなくというのは、なんとも寂しいことだ。

この合格発表を見にきて、お互い見ず知らずの街の者どうしが意気投合した例なんてのもあるだろう。派手な扮装をした先輩方にお祝いされるというのも嬉しかった。これからこの新しき門をくぐり、その掲示板を毎日眺めて歩きながら、学び舎へと足を運ぶ。そういう新しい自分を想像して,喜びにうちふるえたものだ。

合格発表の風景というのは、たいがいその学校の卒業アルバムに収められるものなのである。そのとき映された幼い笑顔と、卒業前のしゃちこばった大人顔とを比べると、なんとも気恥ずかしい笑みがこぼれたものだ。
それが、電子上の数字の羅列でのみ知らされるというのであれば、なんとも悲しく、味気ない。学業に要した努力の重みもうしなわれ、至難をのりこえた誇りすらも軽く感じられる気がする。そう思うのは私だけだろうか。

いまの電子情報で伝えるしくみは、早く、多く、軽く、ではすぐれてはいるけれど。それはひととひととの生々しい接触が薄れている気がする。

無味乾燥なコピー&ペーストした文章をせっせと大量に撒きちらしているえせ物書きがはびこっているネット界を渡り歩いていると、心底そう思う。


【関連記事】
消えゆく合格掲示板 ネットで速報の大学増える(アサヒ・コム 〇八年三月七日)

【2008/03/07 16:42】 時事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

チェーンメールの脅威とブログバトンの猛威と

不幸の手紙というものを送られたことのある方はおおぜいいるでしょう。いまや、あれにとってかわるのがチェーンメールです。中身が真実性のないものが多く、何人のひとに回してくださいと強要する悪質なメールは、いっしゅのねずみ講にちかく、ネットワークにも高い負荷をあたえるがために、社会的に問題視されています。
さいきん、輸血が必要な子どもがいる。たすけてほしいという虚偽のチェーンメールが出回ったとの報道がありました。入院先として書かれた昭和大学病院や日本赤十字に問い合わせ電話が殺到し。病院側が対応に追われて通常業務に支障がでるほど。病院は公式ホームページでチェーンメールであったことを訴え、事態は収束したようです。

ブログや個人のPC,携帯メールなどをつうじてひろがる情報ネットワーク。いわゆる口コミ効果に、企業も注目しはじめていますが、その情報の信憑性には、注意をはらう必要がありそうですね。

このチェーンメールについて、私が身をもって危機感を感じたのが、先般おきました中学生行方不明事件です。(メインブログの「障害を生涯の障害にする社会」をご参照)
昨年十二月にY市で男の子が行方不明となり、ネット上で顔写真や身体の特徴とともに捜索公開のお願いがよびかけられました。そして、この件に関しては、私もエディタで知り合ったアート&アニメーションコミュニティの管理人様が掲示板で告知されていたのを知り、メインブログで紹介していました。ところが、いちぶの善意の先走りしたチェーンメールによって、ご家族がこころを痛められたとのことです。
けっきょく、一月に保護されたため事なきを得ました。そして拙ブログも、捜索記事じたい削除いたしました。が、一度アップした記事ですから、いくらブログ上からみえなくなっても、ネット上にログが残されてしまう可能性もあります。すこし、うかつだったと思いました。
こういう個人情報をお気楽に趣味で運営しているブログで扱うことの危険性をあらためて感じましたし、また、私のブログをご覧になって芋づる式に情報が流れていってしまうことの恐さというのも。

ところで、よくブログにみうけられるバトンなるものも、いわばチェーンメールの一種。ガセネタではないぶん悪質ではありませんが、指名されて次の人に回してくださいとの強制は、もらって答えられない側にとりましては脅威ですので、答えて知り合いがいたとしても、あえて次の人に回さないひともいるのだそうです。
じつは、最近になってある方からもらっていたことを知り、さてどう答えようか、誰に指名したらよいのかと迷っています。

この指名するあてはあるには、あるのですが。果たして指名してご迷惑ではないだろうか、そして指名しても無視されたらどうしよう、という迷いがあります。
これはバトンだけじゃなくて、メールやブログのコメントでもいえますね。送るほうは善意なのだけれど、相手にとってはありがた迷惑なのかもしれない。
そのいただいたブログバトンについては回答を用意しているのですが、現在ほかに書きたい記事が押していますのと、次の回し先をかんがえあぐねているので保留中です。

このバトンにせよ、チェーンメールにせよ、会社や町内でまわる回覧板とおなじ感覚なのですが。これが回ってこないと仲間はずれにされたみたいな後ろめたさがあり、それがために必死で皆さん回そうとするのかもしれませんね。誰かとつながっていることを確認しておくため。ネットで孤独でないことを知らしめるため。


【参照記事】
チェーンメールで昭和大に電話殺到「3歳の子供助けて」(gooニュース 〇八年二月二十二日)
「3歳の子助けて」チェーンメール、日赤にも電話殺到(アサヒ・コム 〇八年二月二十二日)


【2008/02/27 12:50】 時事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

〇九年大河ドラマ「天地人」主役決定

読者の皆様、ごきげんよう。風邪がなかなか治らない管理人です。やっとこさ徹夜の映画レヴュー書き上げて、昨日は日付がかわる前に寝てしまいました。(小学生かい)

ところで、こんなニュースを耳にしました。

妻夫木聡、来年のNHK大河「天地人」主役・直江兼続に決定(サンスポ・コム〇八年二月二十一日)


メインブログの「昨夜は『天と地と』」という記事でも触れましたけど。あれ、以前から発表されていたんじゃなかったの?という疑問です。私がこの記事書いたとき、ウィキペディアに載っていたのですが、フライングだったんでしょうか?よくわかりません。公式に決定だということなのでしょうけれど。

妻夫木聡くん、嫌いじゃないですが。
大河の主人公にしては冴えないなという気がします。いや、男前は男前なんですけれど、なんだか優男という感じで。まあ、この直江兼続という役どころにはぴったりなんでしょうけれど。
演じてみなければどう化けるかわかりませんが。このひと、名前は覚えやすいけど、顔だちとか演技とかはあまり印象に残らない方です。脇役の法が向いている気がします。(ファンの方ごめんなさい)
インタヴューで、よりによってあの緒方直人の「信長」を絶賛。いや、あれは私にとっちゃ、駄作もいいところです。竹中直人の「秀吉」ならともかく。緒方は声に張りがなくて、演技にも幅がない。しかも、はっきりいってそんなにルックスいいほうでもないし。父親の七光りだとしか思えなかった。
緒形直人の「信長」を褒めているのも、事務所つながりかしらなんて勘繰ってしまう。しょうじき、最近の大河ドラマは観る気がしないです。「篤姫」の商標登録をしたNHKの態度も不信だし。
大河で一番面白かったのはやはり、渡辺謙主演の「独眼竜政宗」か、中井貴一の「武田信玄」、真田広之「太平記」。近作なら「時宗」か「義経」あたり。戦国、江戸期はもうやりつくしたので観たくないです。

しかし、こういう大河の主役ってやはりコネがもの言うんでしょうね。実力でいったら、とっくに織田裕二とか抜擢されてもよさそうだけれど、扱いづらいからいやなんでしょう。べつに大河出演果たしたからといって能力認められたわけでもあるまいに。やはり箔づけだと思いたがるものでしょうか。とはいえ、たまに知らない能・歌舞伎役者が出てくれるのはまことに嬉しいが。

たまに、なにかとんでもない配役するときがありますけれど。まあ、手堅いところはおさえているんでしょうね。まちがっても叶姉妹とかは登場しないことを祈る!(あたりまえだ)


【2008/02/21 06:09】 時事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>