Oisixさん、地球のおいしさをありがとう!

キャベツの花



ほんとうは、早く書きたかったのですが、諸般の事情により遅れました。
「キャベツ姫」という記事で応募した、おいしいキャベツの食べ方コンテストに先日当選し、景品の野菜セットが届けられました。メインブログの二十二日付記事でも、軽くふれています。
なお、この案件は当選者五〇名とありましたので、きっと私以外にも多くの方がこの幸運にあずかったのでしょう。自分はすこし規格外な内容を調子に乗って書きましたので、まさか当たるとは思いもよりませんでした。この喜びを多くの方と分かちあえることに感謝です。

頂いたものは、ほうれん草、人参、じゃがいも、まいたけ、卵六個そして牛乳でした。このうち、本日までじゃがいもを除き、すべて食しました。

私はけっしてグルメなほうでもなく、味覚が発達している方でもありませんが。これはかなりおいしかったです。料理がへたであるので、どのように調理すべきか悩みました。そこで、できるだけ素材の味をそこなわないしかたで口にしてみることにしました。

卵は白飯のうえに割りほぐして、卵かけ御飯しにてみました。卵黄が太陽のように厚くもりあがっていて、白身にも蜜いろの輝きがありました。
にんじんは、そのままかじってみますと、かみごたえがあり、よく店でうっているものの水っぽさがありません。
牛乳はもちろん成分無調整で、粉っぽさはありません。

私がいちばん感嘆したのが、ほうれん草としめじです。
茹でておひたしにして食べたのですが、そのまえにふたつとも生でかじってみたのです。ほうれん草は茎の部分に翠の甘さがあってすばらしかった。これが茹でるとたいがいビタミンがとんで苦くなるのですが、さっと茹でたせいか、その甘さも残っていました。
びっくりしたのが、まいたけ。もともときのこ類は好きなのですが、生で食べたことなんてほとんどありません。試しに口にしてみたのですが…すごく、たとえようもないくらい、おいしいのです。とにかく、おいしい。それしか言いようがなかったうまさ。

日ごろ、けっこうレトルト食に慣れてしまっているので、食材ほんらいのおいしさが感じられました。
(コピー文ですが)手書きのあいさつ文も同封されていて、とても親しみがもてました。
メインブログの「お箸の国のチョコレート─食罪の嵐にきっと勝つために─」という記事で、日本の食糧自給率を憂える発言をしたところ、同意してくださるブロガーさんがいらっしゃり。その方いわく、消費・流通・生産の三すくみが一丸となって食育をすすめなくてはならない。そのためには、流通の大手であるスーパーマーケットが、消費者の窓口となって意見をすいあげ生産側に届けるべきだと主張されていました。
が、これにはすこし異論があります。(コンビニや生協の問題点をことごとく指摘されている部分頷くところあるにせよ、正直にいうと、スーパーの商売敵をこきおろしている感も否めませんでした。)スーパーマーケットは食品だけを扱うわけではありませんし、たとえばクレームがあっても流通工程が複雑であると買い手の声など届きにくい。私はむしろ、消費者が直接メーカーに近づくべきであると思いますし、そのために、Oisixのような産地直送で食品を届ける宅配サービスがあるのだと思います。たとえば、共働き家庭や、スーパーの営業時間に買いにいけない業種の労働者、高齢者・身体障害者がいる世帯などはやはり、こうした家に直接食材を届けるサービスはあると便利です。

おいしい野菜や米をつくるために土地づくりには何年もかかる。これは、私の祖父母が農家をしていたからわかることです。いただいた食材は、とてもていねいに人の汗と陽の恵みと土の香りを吸って育てられた逸品だと、私のつたない舌がこたえていました。ひと口味わうごとに、こんなおいしいものが口にできる大地に生まれてよかったのだと、そう感じました。

もし、この野菜セットをいただなければ、いま日本の深刻な食問題に頭を悩ますこともなく、のんびり趣味のことなど考えて過ごしていたのかもしれません。私がいただいた贈り物は、とてもおおきなものでした。それはただ一回のみ味わうだけに終わらず、食生活をみなおすきっかけを与えてくださったのです。
とても感謝しています。

(このお礼記事をアップするために拙所をチェックされていたエディタ事務局様、掲載が遅れて申し訳ございません)


【2008/03/30 06:09】 エディタ・モニタ私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

タイタニックふたたび

ひさしぶりにあの、感動巨編シネマを堪能しました。
ジェームズ・キャメロン監督『タイタニック』です。
三月二十八日、二十九日と二夜連続で夜九時放映していました。

詳細はまた後日、メインブログに掲載したいのですが。この映画は、やはり何度観ても泣けます。実家にビデオがあり、いざとなったらすぐレンタルできますから、いつでも観れると思いつつ。やはり、TVのオンエアで観てしまいます。

実物大の客船を復元したという豪華なロケーション。はじめて観たときは、それに圧倒されるばかりでしたが、CG映像が発達した今、見返すとやや古くさくなった印象はあります。とくに、放送の合間にはさまれる鮮やかな高画質のCMと比べますと。しかし、それらがなんとなく、過剰にしつらえられた感じがするのと違いまして、『タイタニック』の映像はやはりリアリティがあるように思われるのです。
それは、演劇人たちの迫真の演技のせいであるかもしれませんが。

セリーヌ・ディオンの主題歌とサウンドトラックのCDをまたかけたくなりました。
ところで、タイタニック号は所有会社が保険金めあてに、わざと沈められたという噂があるそうです。

豪華客船「タイタニック号」は沈められたのか!?衝撃の検証。

真意はさだかではありませんが、もしそうだとしたら…。
あの事故で一家の大黒柱をうしなって、アメリカ大陸で生き伸びた人にはなんら生活の保障はなかったのでしょうから。

関係ないけれど、昨日異常にブログへのアクセス数がすくなかったのですが、もしかしたら皆さん、TVにかじりついていたのかもしれませんね。

いや、拙所が飽きられた可能性もあるわけですが。マイペースで書きたいものを書きますから、いまはあまり気にしません。

【2008/03/30 00:18】 私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

最近、ご無沙汰

最近、すっかりこちらの更新が途絶えています。
メインもそうなんですけれど。

いろいろとためになるニュースサイトやブログさんを見つけて、読むものが多くなったので書く時間がなくなってきました。

あと、ここ数日は、ひどい貧血と腹痛を起こしました。外出先で倒れそうになりました。
今年、四度目の風邪で熱も出しました。奮発して記事を書くと、どっと疲れがでます。知恵熱かもしれません。

書きたいもの、いろいろあるんですが。
モニタプラザで当たったもののお礼ですとか。時事問題ですとか。

また寒気がしてきましたので、もう休みます。


ここで言ってもしかたないけれど。
いろいろ、頂いた方、ありがとうございます。

【2008/03/28 00:54】 私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

海外で偽美術品製造グループを摘発

"Art forgery operation broken up by FBI and Spanish police"
The Guardian, Thursday March 20, 2008



【summary】

FBIとスペインの警察が協力して、美術品偽装組織を摘発した。彼らはアメリカの画廊主と組んで、ピカソやミロ、シャガール、タピエス、ダリなど巨匠の模造版画を販売していた。eBayを利用して、アメリカ、カナダ、オーストラリア、欧州そして日本の、およそ千人以上の買い手が被害に遭った。
この報道で、多くの所有者が自分のコレクションが偽物ではないかと疑ったり、スペインの多くの美術館では、専門家によって真贋の審査がおこなわれた。
美術品偽装に関わっているのはイタリアやスペインのマフィアで、画商たちに市場を溢れさせないように商品を徐々にいれかえるように口添えしていた。

【vocabulary】

dismantle
━━ vt. …から(おおい[家具・装備]を)取り除く ((of)); 取りこわす, 分解する.
 dis・mantlement ━━ n.

forgery
━━ n. 【法】偽造(物・罪).
dupe
━━ vt. だます (deceive), だまして…させる ((into doing)).
━━ n. だまされやすい人 ((of)).
counterfeit
━━ a., n., vt. 模造の, にせの; 見せかけの; にせ物, 模造品; 偽造する; ふりをする; まねする.
fraudster
━━ n. 詐欺師, ぺてん師 (frauds・man).
bogus
━━ a. にせの, いんちきの.
attorney
n. 〔米〕 弁護士 (attorney at law); 【法・商業】代理人.
raid
━━ n., v. 襲撃[急襲](する) ((on)); 侵入する ((into)); (警官が)手入れ(する) ((on)); 空襲;
suburb
━━ n. 郊外; (the 〜s) 郊外住宅地域, 都市周辺部.
merchandise
━━ n. ((集合的)) 商品.
━━ v. 売買する; 販売を促進する; (新人歌手などを)売り出す.
allegedly
ad. 申し立てによれば, 巷間の取りざたでは.
al・leged
━━ a. (証拠なしに)言い立てられた, (…と)言われた.
signatures
━━ n. 署名; 【楽】(調・拍子)記号; 特徴;
indictment
━━ n. 起訴(状).

【a concurring opinion 補足意見】

eBayはインターネットオークションやネット通信販売を手がけるアメリカの会社で、ネットオークションでは世界最多の利用者を誇る。日本へは邦人イーベイジャパンとして、日本電気と組み〇〇年に進出したが、〇二年に撤退した。〇七年十二月Yahoo! JAPANとの提携を発表し、Yahoo! オークションと本国のeBayとの出品物の入札・落札が、相互的に可能になる。ヤフーとeBayが提携へ(IT Media News 〇七年十二月四日)参照。

日本のネットオークションが世界規模に開かれるのは歓迎されべきですが、今回のは氷山の一角。まだまだ海外で不正模造などはおこなわれていて、それが日本に流れてくる可能性は十分にありえますね。また逆に日本の詐欺アートビジネスが海外のバイヤーを標的にすることも考えられます。


【2008/03/24 03:15】 芸術・アート | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

あたたかいコミュニティ─スープの冷めない距離にあるこころの交流─


蝶のスープ


最近、読んでいたアートニュースサイト経由の記事で、こんな一文を目にした。人間は自分で稼ぐよりも、他人のためにお金をつかうことに喜びを感じると。私にはお金がない。だからもしひとに与えられるとしたら言葉だ。「貧しいので、あなたにあげられるのはせいっぱいの愛情だけです」という、樋口一葉の言葉が私は好きで、ブログ活動においてもそうしてきたつもりだった。

が、しかし。多くのひとに気づかいの言葉を寄せるには、私の時間はすくなすぎた。私が参加していたコミュニティでは、こちらが何十分もかけてていねいな文章を残しても読みもしない人もいた。ランキング支援してくださいと、図々しく伝えてくる人もいた。こうした方はたいがい人当りがいいので、ついつい応じてしまうが、おおくの読者のうちのひとりにしか扱われていないことに、しだいと不満がつのった。都合のいいときだけ質問などしてくるひと、自慢話を聞かせたがるひと。しかし、こちらの話にはいっかな耳を貸そうとしない。
見返りをもとめる自分もどうかしていたが、かなり飽き飽きしていた。そして、いちばん仲が良かった方ともけんかした。コミュニティのなかで意味のない権謀術数がくりひろげられている。これではまるで、現実社会となんら変わらぬではないかと思った。もちろん、ブログの書き手は生身の人間なので、あたりまえなのだけれども。

こうして、私はよそにでかけて言葉を残してくるのが馬鹿らしくなった。じっさい、会社で同僚に嫌がらせしたある方から,無意味なコメントをおくられ、ブログ上では答えたが,相手先に向かわなかったら嫌味たらしく催促されたりもした。

もう、あのコミュニティは退会しよう。そう決意していたとき、あるブロガーさんが私のささやかな変化を察して、コンタクトをとってくださった。ふだん表立って交流していない方だったが、前職に共通点があって私は好感をいだいていた方だった。その方もコミュニティ内のふとどきな要求のおおい連中にうんざりしていたと明かしてくれた。
その方は私に諭してくれた。「あれこれと人間関係にはとらわれずコミュニティを楽しんでください」と。
おなじころ、いつも美しい海の画像をみせてくれるあるブログさんの記事に、桜の画像があって、その花言葉「心の平安」を添えていた。その方も私のブログを観察してなんとなく、私の荒れた心理状態を察していらっしゃったように思えた。コミュニティ内ではいえぬ自分の本心をつたえると大いに同意してくださった。

私がこのお二方に好感がもてるのは、じつはすごい体験の持ち主であったり知己を得ていると思われながら、それをちっとも鼻にかけないところだった。そのお二方の見えない声援を得て、私は自分の書くべき道、そしてブログをふたたび楽しむ方向を見出せた。とても感謝している。

スープの冷めない距離という言葉があるが、私が理想とするのがつかず離れずでいららえるあたたかい関係だ。これは都合のいいときだけ助け合うというのではない。相手の状況をみて料理をだす給仕のようなサービスで、お金のともなわない気くばりだ。スープというのは夏場はいらないのだ。真冬の外で仕事をするときに、無言でさしだされた一本のホットな缶ジュースにこころ癒されるように。

インターネットの普及によって、人間のつながりはますます薄くなったといわれるが、それは多くの人との出会いが増えたたためだ。まごころのスープをさしだせる相手には限りがある。相手がもとめても温情をあたえれなかったことで、恨まれてしまうかもしれない。猫舌な相手に火傷をさせてしまうような痛い言葉をなげつけてしまうかもしれない。

おそらく、このテーマを設定した企業様は、もっと実生活に属した体験をお聞きしたかったのだと思う。じつは、そういう体験は人生上たくさんある。それを語りたくないのは、あまり自分の実存をさらしたくなからであり。かつ、これがネットを通じての話で、あのコミュニティ経由であることを意識してだ。コミュニティでの自分の悪感情をさらすことにはいささかためらわれたが、あえてそれを記したのは、コミュニティの意識改善をうったえたいがためだ。
ネットというのは視覚、聴覚にはうったえるが、触覚はないせかいだ。だから、文面から相手のこころの温度を読みとる能力がたかく要求される。このお二方は、それがすぐれていたということだろう。私が静かになにかに冷めつつあり、かつなにかに怒りの炎を燃やしつつあるかをよく心得てていらっしゃったのだ。スープは温めるものでもあり、冷やすものでもあるのだ。なぜなら、それは液体でいかようにも形をかえて他人のうちがわに溶け込んでくれるものだから。消化されてしまうあたたかさ、誰かのなかで確実にエネルギーになるもの。それを贈ることがだいじなのだ。

あのコミュニティにはアフィリエイト目的で強引な勧誘をしている方はたしかにいる。が、しかし。一部に良心的に商品を紹介したり、現実の経済活動におおきく寄与していたり、人生におおきな目標をもうけて毎日まいにち自己鍛錬を欠かさない方々もいる。そして、じつはアフィリエイトとは銘打っているがひじょうに真摯に研究して、己のためでなく皆の利益のために情報公開している方もいる。
私はこうした方々とのおつきあいをとても大切に思っている。そして、記事を書くことで企業様やコミュニティ運営者がわから感想をいただけたりしたことがとても励みになっている。

私が出会ったお二方は、まったく自分の趣味とは分野がことなる方なのだが。互いの共通点をみとめて共感しあうのではなく、じつは、異質なものをそれと認め、無理に理解しようとしないというのが、文化相対主義の考え。私はしばしばこの精神を忘れてしまうが、コミュニティもおのがじしが表現をもつ文化集団である。

私はいまかなりコミュニティへの参加を楽しんでいる、一時はひらくのも嫌だった場所だったが、いまはかつてのように、あちこちに顔出ししている。そして、その交流をすることはコミュニティ運営者の望みなのだろうと思う。
今後もこの稀なるバズマーケティングモールと、そこに参加する企業、そして参加者の幸運をいのろう。彼らがおたがいにスープを贈りあうようなあたたかい関係でいることを、私は切に願う。いくつか、その恩恵を受けてきたひとりとして。
そしてお二方からいただいた、あたたかさを誰かに贈れる人になろうと、願う。


【参照記事】
"Give away your money and be happy" (NewScientist.com news service, 20 March 2008)

スープストックトーキョー

【2008/03/23 23:00】 エディタ・モニタ私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

うらない、知らない、私がわからない

あなたの偽善者度チェックという占いがあり、試してみました。

結果はむなしくなるので,表示しませんけれど(苦笑)
けっこう、高かったですね。知的偽善度百パーセントというのが、なんとも…。まあ、知ったかぶりは私の十八番です(開きなおり)

ひとが知ったかぶりをするとき、それはふたとおりあって。
ひとつは自分の知識をお披露目して誇りたい場合。
もうひとつは、自身が集積した学びをアウトプットして、まとめたい場合。

よく論文でやたらと参考文献ばかり膨大にあつめて、自身の独創的な視点がないひとは嫌われますが。こういう人は、前者というよりは後者なのかもしれません。私も後者ですので、なにかを調べてものを書いたとき、よく調べものされていますね、とか、ここで勉強になりました、という感想をいただくと複雑な気持ちになります。自分はちゃんと、ただしい情報をあたえられているのだろうかと。

しばしば、自分はこれだけ学びましたという成果をこれみよがしに見せつけるのは、やはりおこがしく思われます。たとえば、ブログなど見える場所で、ノート代わりにして用語などまとめたものが、人の目にはペダントリー(衒学的)と揶揄されるかもしれない。
しかし、そう評されても学びつづけるしかないひとはそうすべきなのです。ただし、自分がよく勉強していますとうぬぼれることも、他者から賞賛を浴びることも期待してはいけない。それは孤独な学習です。

ほんとうに善良な知とは、なんなのでしょう。

いわく、たとえどんなにただしい知識であっても、日ごろ素行の悪い人間や権高な態度を隠そうともしない御仁から聞かれると,信じたくなくなるものです。また逆にきわめて謙虚な態度で道をきわめてきた学会の重鎮が説く学理ならば、ありがたいもののように拝聴したくなる。

偽善であるかを知ってなお、それを甘受するのが人の道として賢いのか。それとも、するどく批判し世の白黒はつけるべきなのか。

関係ないですが、さいきんこうした占いばやりなのは、自己分析ができず時分探ししたくなる世代が多くなったためでしょうかね。希望をもって進学し勉学にいそしんだのに、終身雇用という安定性がくずれ、会社が人生の未来と生活の安泰とを保証してくれない。自己実現の場を何に求めてよいやらわからない。
多くの情報を得ていても、自分で自分がわからないというのが、現代人の最大にして不幸な無知なのかもしれません。二十世紀初頭にひらかれた心理学がまだしも隆盛をほこり、ひとの興味を惹いてやまないのは、このためなのです。

【2008/03/21 20:11】 私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

美の装いびと─和を着るミュージアム─

ラ・ジャポネーズ


学生時代に論文の副査をしてくださった教官のご紹介で、美術館で短期間の監視員のアルバイトをしたことがあります。その施設は二階が与謝野晶子の文芸館、三階はアルファンス・ミュシャのコレクションを集めて展観させていました。私が担当したのは一階のギャラリーで、そこは二階、三階の特別展示とはことなって、こぢんまりとした催しをしていました。
私が参加した企画は、たしか大阪出身の現代版画家展で、山本容子さんの作品などが展示されていて。監視員の特権で、勤務時間終了後に期間中の展示を無料で見せていただけました。

このアルバイトの際、かなり迷ったのが毎回の服装。
公立の美術館の監視員や受付嬢は、たいがい制服を着ています。これはおそらく正式に派遣会社など通じて採用されたか、ボランティアの方だと思います。しかし、こちとら臨時の雇われ大学生。私服でいいと言われたものの、あまりにも華美で個性的なものですと、作品の横で座っていても目立ってしまいます。かといって、スーツのようなフォーマルなものでなくともよろしい。けっきょく、普段着であるけれど、多少動きやすく、しかしかつ地味にみえるものを選びました。あくまで、展示作品の印象を壊さないように。

この体験から思いついたのですが。
たとえば、よく企業などが地方で参加するお祭りイヴェントには、社員が法被を羽織ったり、女性が浴衣を着ていたりします。これとおなじで、美術館・博物館展示、とりわけ日本の文化を紹介する企画展ならば、その職員が着物を着てお出迎えするなんて、いいかもしれません。

たとえば、仏教や神道美術の紹介ならば、袈裟や巫女装束を着ておもてなししてみる。
染色作家の作品ならば、その作家の描いた文様の着物をきてみる。着物は博物館の展示では、たいてい熊の毛皮をひろげたように、衣桁(いこう)に掛けて見せています。しかし、平面的な見せ方では、服飾品のほんとうの美しさはわからないものなのです。じっさい、体のラインにあわせて、前身ごろを合わせ、裾のひろがりを閉じて、帯と調和してこそ、着物の柄の価値がわかるのです。着物は着方をまちがうと、おそろしく文様がくずれて醜くみえてしまうもの。しかし、逆にこつを押さえれば、とても美しく日本女性をみせてくれるものなのです。
かの谷崎潤一郎は『陰影礼讃』のなかで、日本女性の美は和服にあると述べています。その当時、家内をあずかる女性たちはいつも家屋の奥ふかくで暮らしていた。家にこもる闇のなかで、さらに肉体のほとんどを衣裳で覆われた彼女たち。その袖先から覗く白魚のような手や、襟からすっと伸びたうなじに、底知れぬほんのりと上品な色気を感じたというのです。
この和服の柄には、近現代絵画などの斬新なデザインをもちこんでみるのも一興。よくミュージアムショップに印象派や、ピエト・モンドリアンなどの絵画をプリントしたTシャツやタペストリーが売られていますが、もしこれが和服になったらどうでしょう。そして、それを着ている女性が、展示室にいたら?想像してみるだに、おもしろいですね。衣裳というのはじっさい着用しているモデルさんに憧れて、買ったりするものです。
親戚に呉服問屋がいて、ほんらいそこの跡継ぎであったのに、商売を厭って京都で長い修行を積み、いまやっと日展で活躍されるようになった染色作家がいます。その方は基本的にいま売れ筋のような絵柄よりも、自分の個性的な表現を追求されています。ですから、その作品のほとんどは着物ではなく、屏風仕立てにしたり、ちいさな木枠にはめて売られています。さいきんは、成人式や結婚式など冠婚葬祭をのぞいては、日常で着物を着る機会はとんとなくなりました。私の実家のすぐ側にあった呉服屋さんも、一昨年廃業されてしまいました。少子化で若者が着物に親しむ機会が減ってしまったためでしょう。嘆かわしいことです。

美術館の所蔵作品は死後五十年は経過したオールドマスターの作品ならば、版権を気にせず複製できます。もし、こうした国内外の有名作品を図案とした着物を売り出せば、いま経営の傾きつつある着物業界関係者をすくうことになります。そして、そのぶんの利益を、現代の染色作家など伝統を担う若手の育成に回せば、和服業界はふたたび活気づくのではないでしょうか。

着物を着るというのは、大和魂を着るということです。たとえば、武道などをたしなむ場合,それは必然と和の衣裳を身にまとうことになります。そして、その白い道着や紺の袴に身を縛られることによって、なにがしか精神のおちつきがもたらされるのです。日本の武道にせよ、華道、茶道にせよ、伝統文化には着物は欠かせない装いです。着物を着ることは、日本人が民族性を誇り、自国の文化を高揚する一助となるのです。そしてもし、われわれが、同時代のすぐれた染色作家たち、あるいは歴代の名画の作品を着ることがかなったら、それはすばらしいことだと感じます。また、着物は洋服と違って、裁断が平面的であるので、生地を無駄にする部分がきわめてすくなく、きわめてエコロジカルな衣裳といえましょう。
もしかしたら、すでにしてこういうプロジェクトがあるのかもしれませんが。美術館・博物館は文化の研究保存だけにつとめるだけでなく、もっとビジネスにつながる事業を,積極的に推進していっていいと私は考えています。
美しく着物を着て、美しい文化を贈りとどけたい。着ているものはモノではなく、こころです。それが私の願う最高の贈りごとなのです。



【画像出典】
クロード・モネ作『ラ・ジャポネーズ』(c. 1875)の加工画像を、名画デスクトップ壁紙美術館さまより、お借りしました。


贈りごと「Let's KIMONO(着物)コンテスト」

贈りごと「Let's KIMONO(着物)コンテスト」

【2008/03/21 07:43】 エディタ・モニタ私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

三月の風邪

また風邪をひいたようです。
かなり寒気と、嘔吐感がしています。

記事にしたいものがあるのに、いっこう進みません。


今日はそれと、ネットで検索していたらとんでもないニュースを知りました。
私がリアルに存じあげている方だったのですが。

まさか、まさか。
そういう気持ちでいっぱいです。


詳しいことはいえないですが、こういう問題って難しいですね。


もしかしたら、自分もおなじ愚かものなのかもしれません。
ここ数日来いや、あのブログをはじめたときから。


【2008/03/17 00:38】 私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

三月のありがとう

二日ほど前のことですが、某所よりよい知らせをいただきました。
二月以来の吉報でした。
しばらくメールをチェックしていなかったので、当選のことに気づきませんでした。

昨日以前から同じ作品を愛好していておつきあいのあったブロガー様から、ていねいなメールをいただきました。


先月からずっとメインブログをどうしようか悩んでいました。そして、あの場所での立場についても。
あと、もうすこしだけ存在してみます。


【2008/03/16 06:57】 私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

アクセス解析故障?

いま、なぜかアクセス解析が見れません。
故障なのでしょうか?

昨日記事にしたせいじゃないですよね?(汗)
だとしたら、すいません。

【2008/03/14 23:22】 ブログ | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>