サンキュー・アート──裏側からありがとうの日──

昨日はなかなか見苦しいものを書いてしまったようだ。とはいえ、反省はしていないであるが。ネットに残す以上、こうした苦言が、いつか誰かに見咎められることもありだろう。それを恐れないわけではないが、正直、書いていないと気が休まらない。ブログの表に書くと、波紋をよびそうだから、こんなところでちまちま暴言吐いてしまう自分を浅ましくは思う。かといって、無名で語り合える掲示板などに吐いてこようとは思わない。見るに耐えない文章ばかり目についてうんざりするからだ。

ところで、今日、三月九日はサンキューの日。いつも送られてくるエディタナビゲーター様からのメールによって知った。さいきん、このメールは朝ではなく夕方配信になったのだけれど、そのせいか前置きの文章などがじつによく練られていて感心する。タイトルのつけ方もうまい。まあ、ここで褒めても届いちゃいないでしょうけれど。といいますか、エディタの不満を書き散らしていますので、運営者側にチェックされたらマズいですが(苦笑)

この「ありがとう」の日は、「39アートの日」と題して日本はじめ、世界各国でいろんな感謝をおくりあうアートイヴェントがおこなわれるとのこと。日本では上野の森美術館やワタリウム美術館、広島市現代美術館などが協賛し、笑顔でありがとうと言ってくれたお客さまには常設展の割引をおこなうという、こころにくい計らいを企画している。この試みは、およそ〇一年から日本の現代アーティストの発案ではじめられたのだという。詳しくは、こちらのサイト「サンキュー・アートの日」を参照。

ありがとうの言葉の重さについては、常日ごろたいせつに感じたいと思ってはいるけれど。最近は他人様の厚意を無碍にするようなことをしでかしているのかもしれない。

とりあえず、いつもうちの駄文を読んでくださっている皆さんに、最大級のありがとうを。

【2008/03/09 23:19】 芸術・アート | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

魂にひびく言葉

ある方のブログに、こんなことが書いてあった。
俳句を趣味で投稿しているサイトをみたが、こころに響いてくる言葉がない。そんなとき、ある書物で、子を亡くした母親が詠んだ江戸期の句をみて、いたく思うところあったと。

私は俳句や詩を読むのが好きであるが、じつは皆目わからない。新聞の投稿欄でとりあげられているのを見ても、なんでこんなできの悪い作品がと思うことしばしばであるし。

エディタでも俳句を詠まれている方にお会いするが、胸につきささってくるほど訴えるものがなかった。
しかも、自分の句を詠むよりは、他人のブログの紹介をしたり、ちょっとネットで検索すればでてくるようなうんちく情報で客寄せしたりしている。以前に、某俳人の百首を載せたかるたの、他人の解説をそのまま掲載し、まったくといっていいほど自分の意見をつけくわえていないのには、あきれてしまった。
自分だけの言葉を探すために俳句をされたとおっしゃっていたが、この方の作句がまったくおもしろくないような理由が、わかったような気がした。
『歳時記』など読んで、その文面の丸写し。そんなら、そのブログ読むのでなくて、その本じたい読めばいいのだ。
自分の言葉を磨くことを忘れ、他人のおべっかにいい気になって、振り回されているだけなのだ。

また最近、俳句の同人誌を出していると書いていたブロガーに読者登録された。エディタには、各ブログの読者が紹介文を寄せる機能がある。その方にいただいたのは、「〇〇在住の〇〇です。よろしくお願いします」というマルチポストの文面。他人のブログの中身なんぞ知るよしもなし。広告塔につかえればいいと思っているのであろう。そのブログの中身をみたが、はっきりいって読めたものではない。
他人の書き物の質をとやかく評する権限などはもちえないけれど。すくなくとも、こんなバカのひとつ覚えみたいな文章しか他人に送れない人間は、けっして知性も、そして感性すらも、たかいとはいえないだろう。

コミュニティでいろいろなブロガーにお会いするが、安易に文面をつくって流し、アクセス数稼ぎをしている例が多すぎる。今日もいつもためになる文章をかく律儀なブロガーだとお慕いしていた方を訪れたが、びっくりした。最近物議をかもした、米兵が仔犬を滝へ投げ捨てる動画をネタにしていたが、その文面がgooのニュースランキングの記載記事のコピーだった。しかも情報ソースを示していない。そして、最後には、この記事に共感したランキングサイトのボタンをクリックしてくださいと書いてある。すごく失望した。自分の言葉でまとめるという能力がないのだろうか。

もしかしたら、いままで私が読んで賛辞をおくっていた記事すらも、その大半はこうしたコピペ文章なのだろうか。そう考えると、うっかり余所様の記事に感激をおぼえたからといって、うかつにコメントできない。なぜなら、自分の無知をさらしてしまうようなものだから。

新聞各社サイトがニュース記事の著作権を主張しているのも、こうした記事を自分で書こうとしないブロガーの安易な転載を気色ばんでなのであろう。著作権といえば、自分もメインブログでアニメの画像など掲載しているがためあまり他人様のことはいえた義理ではない。だが、誓っていうが、どこかの記事をまるごと移しとって、あたかもそれを自分の考えのように載せた覚えなどはない。
これなら、私が以前から親しくおつきあいしていたアニメのレヴューをなされている方の文章のほうがよほど、できがいい。
俳句だの、川柳だの、詩歌だの、小説だの、品のよい趣味としてはじめる方が多いが、じったいはただの風流きどりではないか。これなら、世間から低俗として忌み嫌われている文化のほうが、よほどに真に迫った人間の心情ないしは世界描写をおこなっている。こんな俗物教養や高尚学芸好事家には、もううんざりだ。それをありがたがるのは、よほどのその道の素人でぐらいしかない。
そして、自分もこんな誰彼の紙切れのうえの言葉をありがたがっている人種のいちぶなのだ。

こうした借り物の言葉は、ぜったいに胸にはひびかない。のらりくらりと仕事をしている雇われダラリーマンの言葉ほど、うさんくさいものはない。人生の崖っぷちに接して、もしくはいい知れぬ感情の重みに身をしぼられるようにして出された言葉こそが、深くしみこんでくる。

が、しかし。いちばん胸につきささるが、それが痛みであるのは、こうした物怖じしない自身の暴言であるかとは思う。

にしても、質の悪いネットの物書きの文章を読まされるくらいなら、まともな読書をするなり、映画鑑賞していたほうがマシだ。

【2008/03/09 02:05】 私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>