キャベツ姫

オオダカと蝶




あたしは青虫。生後三週間。人間様に飼われてる。
ご主人様は女の子。大学ってところに通ってるみたい。

あたしたちは、キャベツで出会った。そしてキャベツでつながっている。
ご主人様が買ったキャベツにあたしが、隠れ棲んでいたわけ。

最近はむやみやたらとキャベツ畑に農薬をつかわれることはなくなったけれど、それでもあたしたちが生きていくのは、至難の業。農家はネットを張り巡らしてるし、それをくぐりぬけて、あたしの母さんたちが卵をうんでくれても、生き残るのはいちぶ。うっかり、のんびり葉のうえでひなたぼっこなんてしてると、鳥のくちばしにさらわれたり、寄生ハチの卵をうみつけられたりする。そうして、あたしのお仲間はみんな消えていった。

あたしは人間様にみつからないように、何枚にも重なった葉の奥ふかくに、息をこらして潜んでいた。だから八百屋の店頭にならんでも、まんまと発見されなかった。あたしごとご主人様がキャベツを買ったのは、三日前。冷蔵庫ってとこにいれられて、暗くて寒くてかなわないから、のそのそ出てこようとしたら、おおきな瞳にみつめられていた。しょうじき、マズい!あたしもこれでおわりって観念してたんだけど。その女の子は、あたしをてのひらに載せて、指先でやさしく伸ばすようにあたしの翠の背中をなでてくれた。

「はじめして、青虫さん。ああ、よかったわ。うっかり、包丁いれなくて。可愛いあなたが千切りになっちゃうところだったのよ」

それから、あたしの棲んでいた緑の玉の皮をいちまいずつむいて、ていねいにしらべてから、水で軽く洗って、そのままかじりついた。屈託のない笑み顔をみせながら。

あたしは、どうやら安全なキャベツのバロメーターということで、大切に保護されたのだった。
その日から、用意してくれた透明なケースのお部屋のなかで、あたしは暮らすことになった。一日、ニ度はご主人様が、新鮮なキャベツの葉っぱをあたえてくれる。生まれてはじめての幸せだった。

ご主人様は女の子なんだけど、あんまり料理が得意じゃないみたい。それで、食べる野菜といえばきまってキャベツだった。ご主人様がいうには、他の野菜を買うのがめんどくさいから。キャベツは生でも食べられるし、ラーメンや水炊きのなかにほうりこんで、煮込んでもいい。もともと固くてもいけるものだから、少々生煮えでも気にならないし、色合いも壊れない。お好み焼きなんかもいい。ジューシーなタレと絡めれば、キャベツの旨味がきわだつ。料理の彩りも明るくなるし、目にもさわやかに映る。脂っこかったり、卵や肉などでもたれそうな胃をかるくしてくれるのだと。ご主人様は胃がわるいから、キャベツはからだにいいというわけ。
キャベツにもいろいろある。あたしが棲んでいた、葉が黄いろにちかい翠だけじゃやなくて、ほんとに青々としたボールみたいなキャベツや、紫いろのものまで。そういうのをとりあわせて、ざくざくっと切って生サラダにして、あっさりしたドレッシングであえて食べるのも、ご主人様は好きみたい。人間様って、いろんなふうにキャベツを食べるんだね。

あるとき、てのひらのうえの葉をもそもそと食みながら歩いているあたしに、ご主人様はこう言った。

「いっぱいお食べ。そして、早くりっぱな蝶になってみせてね」

あたしは、ちょっと悲しくなった。ご主人様はやっぱり、あたしのこの翠いろで、足も手の指もたしかじゃない、長くてくびれがない、このからだがお気に召さないのかな?そんなふうに、なにか訴えるようなまなざしで見あげていると。ご主人様が溜め息をついて、一オクターブは落とした声でつぶやいた。

「あなたたちはいいわね。美しく風に透ける翅(はね)が生えて、好きなところに飛んでいけて。甘い花蜜を吸って、空を舞いながら暮らしてゆける。ほんとうに、うらやましい。こんど生まれ変わるなら、…わたしは、青虫になりたい……」

あたしは、首うなだれて黙って固いキャベツをかじりつづけた。甘みをもったはずのキャベツは、すこし苦い味がしていた。あたしが大人の虫になったら、どんな姿になるんだろう。ご主人様は図鑑でみせてくれた、あれだろうか。鮮やかな文様の翅があって金いろの鱗粉にまみれながら、からだを花びらのなかに埋めて、蜜に丸まったストローのようなくちびるを寄せている姿。
あたしは母さんの顔も知らない。あたしをキャベツに生み残して、そのままどこかへ行ってしまったから。だから、いっしょにご主人様と過ごした日々はうれしかった。

たぶん、あと一週間で、あたしは蛹になって、あたしはもうあたしじゃなくなる。どんなにきれいなかたちに変わっても、美しい花を食べることができても、ご主人様の愛したキャベツをもう食べられなくなるなんて。そんなの、ぜったいいやだった。

──なのに。

三日後、あたしは口から吐き出した白い糸につつまれて、眠りについた。殻をやぶって、目覚めたとき、湿った重い翅を背負っていた。小枝にぶらさがりながら、ゆっくりと、しぼんだ朝顔の花がまた開くように、翅をおしひろげていくあたしの姿を、ご主人様は静かな笑顔で見まもってくれていた。
へやの中を流れるように自在に飛びまわれるまでに、あたしはりっぱななりに育った。満足げな顔のご主人様のまわりを、飛翔のかたちに育ったあたしが、お礼のダンスとでもいわんばかりに、何重にも螺旋をえがいて回る。誘うように人さし指をあたしへと向けるご主人様。あたしは、派手なマニュキュアをまだ覚えていないその指に、たどたどしい足でひっしにしがみついていた。

数日後、ご主人様は空気の澄んだ田舎にあたしを連れていってくれた。いちめん黄色くいろづいた菜の花畑で、あたしを虫かごから解放してくれた。探るようにそこいらを行き交っていると、ご主人様は古株の蝶たちの警戒心をゆるめるために、さりげなく距離をおいていた。その隙にちかづいてきた、あたしとおなじ翅をもったお仲間に導かれて、あたしは菜の花畑の深くまで進んでいった。あたしを寂しそうに眺めている二十歳の女の子の顔がだんだん遠ざかっていった…。

あたらしいお友達は、あんたにだけだからね、と前置きしたうえで、とっておきにおいしい蜜の一輪へあたしを招いてくれた。あたしには、あの筋張った固くて甘にがい葉の味がなつかしかった。それはもうふしぎと長くなったくちびるには、遠い味だった。

こんど生まれ変わったら、ぜったいにご主人様とおなじ姿になろう。そして、おいしさに湧く笑顔をふたりして分かちながら、いっしょのキャベツを食べて生きるんだ。有機栽培されたあの健康な葉いろのキャベツを。三月のあたたかい匂いのする空を舞いながら、あたしはそう誓った。


有機野菜・無添加などの安心食品Oisix



【2008/02/21 20:34】 私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

この記事に対するコメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

top>>

この記事のトラックバックURL