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国立大学の前期試験の合格発表がはじまっている。私も十年前のことをなつかしく思い返してみる。あの合格発表をみたとき、長い長い十代の冬のトンネルを抜けて、やっと春の国にたどりついたのだと思っていた。
その合格掲示板が、近年、各大学で消える傾向にあるという。私立ではほぼ皆無、国立でも減少気味で、ゆいいつ、東大だけがこの伝統をまもっているようだ。
携帯サイトや大学のホームページでの発表が増えると学生がわざわざ見に来なくなり、掲示板の設置に手間と経費がかかるのでとりやめたそうだ。
不合格の学生にとっては落胆した表情をみられなくともすむという利点はあるが、やはり人生そうなんどもない喜びの風景。掲示板の前で自分の受験番号とともに記念撮影したり、友人と肩を叩きあったり、歓喜の抱擁をしたり、そしてまた胴上げをしたり。そういう晴れ晴れしいイベントの状景がみられなくというのは、なんとも寂しいことだ。
この合格発表を見にきて、お互い見ず知らずの街の者どうしが意気投合した例なんてのもあるだろう。派手な扮装をした先輩方にお祝いされるというのも嬉しかった。これからこの新しき門をくぐり、その掲示板を毎日眺めて歩きながら、学び舎へと足を運ぶ。そういう新しい自分を想像して,喜びにうちふるえたものだ。
合格発表の風景というのは、たいがいその学校の卒業アルバムに収められるものなのである。そのとき映された幼い笑顔と、卒業前のしゃちこばった大人顔とを比べると、なんとも気恥ずかしい笑みがこぼれたものだ。
それが、電子上の数字の羅列でのみ知らされるというのであれば、なんとも悲しく、味気ない。学業に要した努力の重みもうしなわれ、至難をのりこえた誇りすらも軽く感じられる気がする。そう思うのは私だけだろうか。
いまの電子情報で伝えるしくみは、早く、多く、軽く、ではすぐれてはいるけれど。それはひととひととの生々しい接触が薄れている気がする。
無味乾燥なコピー&ペーストした文章をせっせと大量に撒きちらしているえせ物書きがはびこっているネット界を渡り歩いていると、心底そう思う。
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【2008/03/07 16:42】 時事記 |
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