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毎週日曜は夜九時からのN響をたのしみにしている。が、たいがい聞き流しているだけなのだけれども。平日ラジオから聞く、ベストオブクラシックのほうがなぜか耳に残りやすい。やはり知覚をひとつに絞っていると、神経が研ぎすまされるのだろうか。
それはともかく。このN響のあとのETV特集がきょう(三月九日)はおもしろかった。作家にして反戦運動リーダーの小田実を扱っていた。番組をみて、この希有な作家を寡聞にして知り得なかったことを、私は恥ずかしく思った。
〇七年七月三〇日に逝去された彼の生前を追い、死の半年前の入院中の声を遺してものを流したものだった。その七十五歳の生涯に私はひたすら感動した。
一九三二年、大阪市に生まれた小田は、東大教養学部でギリシア古典文学を学び、ハーヴァード大学に留学する。彼の唱える民主主義の原型は、戦後アメリからのお仕着せではなく、古代ギリシアのデモクラチア国家にあるのだという。
留学先の図書館で発見した文書が、その後の彼の生涯にわたる反戦活動を後押しするものとなった。少年時代身をもって体験したあのおぞましい大阪空襲。それが米国の当時の新聞ではどうとりあげられていたか、マイクロフィルムを調べたのだ。そして驚嘆する。戦中の報道規制が敷かれていた日本とは違い、その当時のアメリカ人にはその空襲が、化粧品広告などが両脇をかざるふだんどおりの誌面にまことにちいさな事件として扱われていたことに。とくに四五年八月十四日の大阪空襲は、長崎広島の原爆投下でも煮え切らない日本国政府に降伏を促すためにおこなわれた。この二十時間後に日本は敗北を宣言、天皇の玉音放送を流す。
小田はいう。このとき犠牲になった市民は日本国の体裁をまもろうとする政府の意固地のために無意味な死をさせられたのだと。これが彼のいう「難死」という概念なのである。喜びをもって決意ある死をむかえた「散華」などではない、むやみに奪われた命なのである。
米国遊学を終えて、二十七歳の小田は一年あまりヨーロッパ諸国を一日一ドルという貧乏旅行をする。このときの体験談をまとめた『何でも見てやろう』がベストセラーになり、売れっ子作家として名をあげる。が、ここで小説を書くだけの筆耕におわる人間ならば、そこらの並みいる文士と彼はなんら変わることがないであろう。彼がすごいのは、日本を外側から眺められる視点を身につけていたということである。六〇年代後半にふたたび故郷の土を踏んだ彼が目にしたのは、安保闘争にゆれる日本の同世代の若者だった。が、彼はそれにはくみしなかった。その闘争がただ、日本のことだけ考えている連中のエゴにしか思えなかったのだ。
その彼は、ベトナム戦争時には、「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)を結成し、哲学者の鶴見俊輔らとともに反戦キャンペーンをおこなった。また、阪神大震災時には、家屋が倒壊し一年経っても仮設住宅でつつましい生活をしいられる人びとを見かねて、震災じたいは天災であるが、その後の被災は人災である。道路や商業施設の再建は急ピッチですすめるのに、被災者を公的援助しないのはおかしいと国に異議申し立て。街頭演説をおこない、憲政史上類をみない述べ二五〇〇万人の署名をあつめ、百人以上の賛同国会議員の支持をえて、被災者支援立法の成立にこぎつけた。
彼がすばらしいのは、多忙な執筆業のかたわらで、やむにやまれず市民の声を代弁するがためにたちあがったのであって、けっして自身の喧伝に活動してきたのではないということだ。著作にして日本の弱みをあれやこれやとあげつらうがまったく行動力のない口舌の徒、またいっぽうで、市民生活を変えると公言しておきながらじっさい当選すると公金での安穏な生活に飼いならされて民意を損なってしまうえせ政治家。そうした輩とはまったくことなった、まことの憂国の士であるといえよう。
小田は訴えている。日本人は自国をけなすけれど、我が国こそはアメリカ譲りの民主主義と自由に、平和主義を融合させたまれにみる良国なのだ。先進国で軍需産業が産業の中心にないのは日本ぐらい。だから国民はそれを誇っていいいはずだと。
なのに、日本はいまだアメリカ、しかもブッシュ政権のころのアメリカにすがりつこうとしている愚かな国なのだと。アメリカこそは、民主主義だの自由だのを旗印に正義の名の下に、あの9・11事件を利用して、イラクやアフガニスタンなどの侵略をおこなった犯罪国家なのだ。アメリカ国内ですらもその行為に参じ得ていない、そして、EUやラテンアメリカ諸国は米国の世界統治からたくみに逃れようとしている。なのに日本だけが、このおぞましきモンスターに参与して持ち上げているのだと。たとえば、日本がほこるすばらしい社会保障である国民健康保険制度をアメリカはつぶし、米国の保険商品を売り込もうとしているだと。これにはうなずくところしきりだ。とくに先般の沖縄少女米兵暴行事件の世論の反応などをかんがみるに、だ。日本の政治家は国家を売り渡そうとしているとしか思えないし、アメリカ型消費生活になれた日本人は、ひとりの被害者の愚行をせめて事をあらだてないようにしている。
こうしたアメリカの走狗になることの懸念を、小田は国民の政治的無関心に因をもとめている。ポルトガルの作家サラマージいわく「二〇〜二五パーセントの投票率で当選した政府が国家をめちゃめちゃにする」。彼は国民投票率の最低数を規定し,それを下回った選挙は無効にする法案を提唱している。全権委任されていない政治システムで、少数者の独裁政治がおこなわれるならば、それは偽りの民主政治なのだと。
大震災の罹災者への思い、ベトナム北爆への怒り、イラクへの派兵反対。彼の行動の根底をながれるのは、少年時に遭遇した大阪大空襲での「難死」であったのだろう。国によって民が殺される。先進国の正義によって、農業国が爆撃される。すべておなじ死の痛みである。彼は憂えていた。戦後の焦土から復興し、平和で豊かな「中流」の生活を手にした日本が、資本主義の深みにはまり、かつての戦前国家のころのように富国強兵の道をあゆみだしてしまうことを。
そして、国家の倫理のたがが外れた暴走を阻むためには,市民の団結と行動が必要なのだと説いている。それはお上に窮状をうったえてお願いする姿勢ではない。法律を市民の権利としてつくる市民立法の重要性を問う。震災の生活再建支援法にしても、小田みずからがいち市井の人として原案を起草し、国会議員全員に送付したのだという。その努力には頭が下がる思いだ。
盟友の鶴見俊輔いわく、小田実は、ポリフォニーの闘士なのだと。自身に異をとなえて挑む者にしても、その声をすいあげて、一冊の本にしてしまう。自分の主張を、多くの群衆の言葉にかさねあわせて、ひとつの大きな声とする多声音楽のような調和能力があるというのだ。
その態度は、彼自身の私生活にもあらわれている。在日朝鮮人の細君を娶るなど、その意思は国際的なボーダーラインを超えている。それは彼自身が、日本の愛国心─むいみな嫌国精神ではなく─からのアウトサイダー的存在をつらぬいているからであろう。議員バッジをつけない、もしくは国家権力にまもらない学識者として、在野の立場から国会をうごかしてきた姿勢には尊敬の意を禁じえない。作家やタレントあがりで政治家になって、国民の怒りをあおるような言動をしている先生がたは彼を見習うべきだろう。
その彼が、最期を悟って、ひとり娘の小田なら嬢に語りかけている姿がとてもほほえましかった。さらには、没後のインタヴューでその彼女が父を語るのに声をつまられせている姿には、ひとしれず熱くこみあげてくるものがあった。
この番組はおそらく、三月八日にひらかれた九条の会の追悼講演会をうけて放映されたものなのだろう。作家個人のHPによれば、小田はタイム誌の特集「Asian Heroes」の中で、日本の顔5人の1人に選出されたのだという。こちらを参照。こうした草の根に暮らして、われわれ市民と声の高さを同じにして、しかし低いところで安んじてはいなかった。彼こそは不器用にも政治にうったえる術をしらない民衆を導いた真の弁士であろう。
こういう気概をもった人権論者がまたひとりと世を去ることを悲しまねばならないとともに、われわれはその意をくんで彼のいない平和に築かれた世界の維持につとめるべきなのだろう。
ライブドアの追悼記事によれば、大手新聞社やテレビ局など大手マスコミが政治と癒着し、氏のおこなってきた活動を隠蔽してきたことを暴いている。さらに、市民がひとりひとり意見をもち発信する市民メディアとそこからの反戦運動の高揚を訴えている。おそらく個人単位のブログや電子掲示板などがその役を担うであろうが、市民の言質がまだしも軽い現今にあって、まだまだ課題は多いといえるだろう。自分のブログ活動を反省させられる痛言である。
ところで、このETV特集次回の三月二十三日放送予定は、国立民族学博物館の特集であった。これも興味深いテーマ。しばらくテレビ番組に興味などおぼえなかったけれど、けっこう良質な番組はあるものだと。まだまだマスメディアも捨てたものではないと考える。
【参照サイト】
「小田実さんの志継ぐ」 九条の会が追悼の講演会(中日新聞、〇八年三月八日)
作家 小田実のホームページ - OdaMakoto.com
【追悼】小田実さん死去。生前、パブリック・ジャーナリズムの方向性語る(ライブドアニュース、〇七年七月三〇日)
【2008/03/10 06:16】 時事記 |
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