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あなたの偽善者度チェックという占いがあり、試してみました。
結果はむなしくなるので,表示しませんけれど(苦笑)
けっこう、高かったですね。知的偽善度百パーセントというのが、なんとも…。まあ、知ったかぶりは私の十八番です(開きなおり)
ひとが知ったかぶりをするとき、それはふたとおりあって。
ひとつは自分の知識をお披露目して誇りたい場合。
もうひとつは、自身が集積した学びをアウトプットして、まとめたい場合。
よく論文でやたらと参考文献ばかり膨大にあつめて、自身の独創的な視点がないひとは嫌われますが。こういう人は、前者というよりは後者なのかもしれません。私も後者ですので、なにかを調べてものを書いたとき、よく調べものされていますね、とか、ここで勉強になりました、という感想をいただくと複雑な気持ちになります。自分はちゃんと、ただしい情報をあたえられているのだろうかと。
しばしば、自分はこれだけ学びましたという成果をこれみよがしに見せつけるのは、やはりおこがしく思われます。たとえば、ブログなど見える場所で、ノート代わりにして用語などまとめたものが、人の目にはペダントリー(衒学的)と揶揄されるかもしれない。
しかし、そう評されても学びつづけるしかないひとはそうすべきなのです。ただし、自分がよく勉強していますとうぬぼれることも、他者から賞賛を浴びることも期待してはいけない。それは孤独な学習です。
ほんとうに善良な知とは、なんなのでしょう。
いわく、たとえどんなにただしい知識であっても、日ごろ素行の悪い人間や権高な態度を隠そうともしない御仁から聞かれると,信じたくなくなるものです。また逆にきわめて謙虚な態度で道をきわめてきた学会の重鎮が説く学理ならば、ありがたいもののように拝聴したくなる。
偽善であるかを知ってなお、それを甘受するのが人の道として賢いのか。それとも、するどく批判し世の白黒はつけるべきなのか。
関係ないですが、さいきんこうした占いばやりなのは、自己分析ができず時分探ししたくなる世代が多くなったためでしょうかね。希望をもって進学し勉学にいそしんだのに、終身雇用という安定性がくずれ、会社が人生の未来と生活の安泰とを保証してくれない。自己実現の場を何に求めてよいやらわからない。
多くの情報を得ていても、自分で自分がわからないというのが、現代人の最大にして不幸な無知なのかもしれません。二十世紀初頭にひらかれた心理学がまだしも隆盛をほこり、ひとの興味を惹いてやまないのは、このためなのです。
【2008/03/21 20:11】 私事記 |
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