海外で偽美術品製造グループを摘発

"Art forgery operation broken up by FBI and Spanish police"
The Guardian, Thursday March 20, 2008



【summary】

FBIとスペインの警察が協力して、美術品偽装組織を摘発した。彼らはアメリカの画廊主と組んで、ピカソやミロ、シャガール、タピエス、ダリなど巨匠の模造版画を販売していた。eBayを利用して、アメリカ、カナダ、オーストラリア、欧州そして日本の、およそ千人以上の買い手が被害に遭った。
この報道で、多くの所有者が自分のコレクションが偽物ではないかと疑ったり、スペインの多くの美術館では、専門家によって真贋の審査がおこなわれた。
美術品偽装に関わっているのはイタリアやスペインのマフィアで、画商たちに市場を溢れさせないように商品を徐々にいれかえるように口添えしていた。

【vocabulary】

dismantle
━━ vt. …から(おおい[家具・装備]を)取り除く ((of)); 取りこわす, 分解する.
 dis・mantlement ━━ n.

forgery
━━ n. 【法】偽造(物・罪).
dupe
━━ vt. だます (deceive), だまして…させる ((into doing)).
━━ n. だまされやすい人 ((of)).
counterfeit
━━ a., n., vt. 模造の, にせの; 見せかけの; にせ物, 模造品; 偽造する; ふりをする; まねする.
fraudster
━━ n. 詐欺師, ぺてん師 (frauds・man).
bogus
━━ a. にせの, いんちきの.
attorney
n. 〔米〕 弁護士 (attorney at law); 【法・商業】代理人.
raid
━━ n., v. 襲撃[急襲](する) ((on)); 侵入する ((into)); (警官が)手入れ(する) ((on)); 空襲;
suburb
━━ n. 郊外; (the 〜s) 郊外住宅地域, 都市周辺部.
merchandise
━━ n. ((集合的)) 商品.
━━ v. 売買する; 販売を促進する; (新人歌手などを)売り出す.
allegedly
ad. 申し立てによれば, 巷間の取りざたでは.
al・leged
━━ a. (証拠なしに)言い立てられた, (…と)言われた.
signatures
━━ n. 署名; 【楽】(調・拍子)記号; 特徴;
indictment
━━ n. 起訴(状).

【a concurring opinion 補足意見】

eBayはインターネットオークションやネット通信販売を手がけるアメリカの会社で、ネットオークションでは世界最多の利用者を誇る。日本へは邦人イーベイジャパンとして、日本電気と組み〇〇年に進出したが、〇二年に撤退した。〇七年十二月Yahoo! JAPANとの提携を発表し、Yahoo! オークションと本国のeBayとの出品物の入札・落札が、相互的に可能になる。ヤフーとeBayが提携へ(IT Media News 〇七年十二月四日)参照。

日本のネットオークションが世界規模に開かれるのは歓迎されべきですが、今回のは氷山の一角。まだまだ海外で不正模造などはおこなわれていて、それが日本に流れてくる可能性は十分にありえますね。また逆に日本の詐欺アートビジネスが海外のバイヤーを標的にすることも考えられます。


【2008/03/24 03:15】 芸術・アート | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

あたたかいコミュニティ─スープの冷めない距離にあるこころの交流─


蝶のスープ


最近、読んでいたアートニュースサイト経由の記事で、こんな一文を目にした。人間は自分で稼ぐよりも、他人のためにお金をつかうことに喜びを感じると。私にはお金がない。だからもしひとに与えられるとしたら言葉だ。「貧しいので、あなたにあげられるのはせいっぱいの愛情だけです」という、樋口一葉の言葉が私は好きで、ブログ活動においてもそうしてきたつもりだった。

が、しかし。多くのひとに気づかいの言葉を寄せるには、私の時間はすくなすぎた。私が参加していたコミュニティでは、こちらが何十分もかけてていねいな文章を残しても読みもしない人もいた。ランキング支援してくださいと、図々しく伝えてくる人もいた。こうした方はたいがい人当りがいいので、ついつい応じてしまうが、おおくの読者のうちのひとりにしか扱われていないことに、しだいと不満がつのった。都合のいいときだけ質問などしてくるひと、自慢話を聞かせたがるひと。しかし、こちらの話にはいっかな耳を貸そうとしない。
見返りをもとめる自分もどうかしていたが、かなり飽き飽きしていた。そして、いちばん仲が良かった方ともけんかした。コミュニティのなかで意味のない権謀術数がくりひろげられている。これではまるで、現実社会となんら変わらぬではないかと思った。もちろん、ブログの書き手は生身の人間なので、あたりまえなのだけれども。

こうして、私はよそにでかけて言葉を残してくるのが馬鹿らしくなった。じっさい、会社で同僚に嫌がらせしたある方から,無意味なコメントをおくられ、ブログ上では答えたが,相手先に向かわなかったら嫌味たらしく催促されたりもした。

もう、あのコミュニティは退会しよう。そう決意していたとき、あるブロガーさんが私のささやかな変化を察して、コンタクトをとってくださった。ふだん表立って交流していない方だったが、前職に共通点があって私は好感をいだいていた方だった。その方もコミュニティ内のふとどきな要求のおおい連中にうんざりしていたと明かしてくれた。
その方は私に諭してくれた。「あれこれと人間関係にはとらわれずコミュニティを楽しんでください」と。
おなじころ、いつも美しい海の画像をみせてくれるあるブログさんの記事に、桜の画像があって、その花言葉「心の平安」を添えていた。その方も私のブログを観察してなんとなく、私の荒れた心理状態を察していらっしゃったように思えた。コミュニティ内ではいえぬ自分の本心をつたえると大いに同意してくださった。

私がこのお二方に好感がもてるのは、じつはすごい体験の持ち主であったり知己を得ていると思われながら、それをちっとも鼻にかけないところだった。そのお二方の見えない声援を得て、私は自分の書くべき道、そしてブログをふたたび楽しむ方向を見出せた。とても感謝している。

スープの冷めない距離という言葉があるが、私が理想とするのがつかず離れずでいららえるあたたかい関係だ。これは都合のいいときだけ助け合うというのではない。相手の状況をみて料理をだす給仕のようなサービスで、お金のともなわない気くばりだ。スープというのは夏場はいらないのだ。真冬の外で仕事をするときに、無言でさしだされた一本のホットな缶ジュースにこころ癒されるように。

インターネットの普及によって、人間のつながりはますます薄くなったといわれるが、それは多くの人との出会いが増えたたためだ。まごころのスープをさしだせる相手には限りがある。相手がもとめても温情をあたえれなかったことで、恨まれてしまうかもしれない。猫舌な相手に火傷をさせてしまうような痛い言葉をなげつけてしまうかもしれない。

おそらく、このテーマを設定した企業様は、もっと実生活に属した体験をお聞きしたかったのだと思う。じつは、そういう体験は人生上たくさんある。それを語りたくないのは、あまり自分の実存をさらしたくなからであり。かつ、これがネットを通じての話で、あのコミュニティ経由であることを意識してだ。コミュニティでの自分の悪感情をさらすことにはいささかためらわれたが、あえてそれを記したのは、コミュニティの意識改善をうったえたいがためだ。
ネットというのは視覚、聴覚にはうったえるが、触覚はないせかいだ。だから、文面から相手のこころの温度を読みとる能力がたかく要求される。このお二方は、それがすぐれていたということだろう。私が静かになにかに冷めつつあり、かつなにかに怒りの炎を燃やしつつあるかをよく心得てていらっしゃったのだ。スープは温めるものでもあり、冷やすものでもあるのだ。なぜなら、それは液体でいかようにも形をかえて他人のうちがわに溶け込んでくれるものだから。消化されてしまうあたたかさ、誰かのなかで確実にエネルギーになるもの。それを贈ることがだいじなのだ。

あのコミュニティにはアフィリエイト目的で強引な勧誘をしている方はたしかにいる。が、しかし。一部に良心的に商品を紹介したり、現実の経済活動におおきく寄与していたり、人生におおきな目標をもうけて毎日まいにち自己鍛錬を欠かさない方々もいる。そして、じつはアフィリエイトとは銘打っているがひじょうに真摯に研究して、己のためでなく皆の利益のために情報公開している方もいる。
私はこうした方々とのおつきあいをとても大切に思っている。そして、記事を書くことで企業様やコミュニティ運営者がわから感想をいただけたりしたことがとても励みになっている。

私が出会ったお二方は、まったく自分の趣味とは分野がことなる方なのだが。互いの共通点をみとめて共感しあうのではなく、じつは、異質なものをそれと認め、無理に理解しようとしないというのが、文化相対主義の考え。私はしばしばこの精神を忘れてしまうが、コミュニティもおのがじしが表現をもつ文化集団である。

私はいまかなりコミュニティへの参加を楽しんでいる、一時はひらくのも嫌だった場所だったが、いまはかつてのように、あちこちに顔出ししている。そして、その交流をすることはコミュニティ運営者の望みなのだろうと思う。
今後もこの稀なるバズマーケティングモールと、そこに参加する企業、そして参加者の幸運をいのろう。彼らがおたがいにスープを贈りあうようなあたたかい関係でいることを、私は切に願う。いくつか、その恩恵を受けてきたひとりとして。
そしてお二方からいただいた、あたたかさを誰かに贈れる人になろうと、願う。


【参照記事】
"Give away your money and be happy" (NewScientist.com news service, 20 March 2008)

スープストックトーキョー

【2008/03/23 23:00】 エディタ・モニタ私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

うらない、知らない、私がわからない

あなたの偽善者度チェックという占いがあり、試してみました。

結果はむなしくなるので,表示しませんけれど(苦笑)
けっこう、高かったですね。知的偽善度百パーセントというのが、なんとも…。まあ、知ったかぶりは私の十八番です(開きなおり)

ひとが知ったかぶりをするとき、それはふたとおりあって。
ひとつは自分の知識をお披露目して誇りたい場合。
もうひとつは、自身が集積した学びをアウトプットして、まとめたい場合。

よく論文でやたらと参考文献ばかり膨大にあつめて、自身の独創的な視点がないひとは嫌われますが。こういう人は、前者というよりは後者なのかもしれません。私も後者ですので、なにかを調べてものを書いたとき、よく調べものされていますね、とか、ここで勉強になりました、という感想をいただくと複雑な気持ちになります。自分はちゃんと、ただしい情報をあたえられているのだろうかと。

しばしば、自分はこれだけ学びましたという成果をこれみよがしに見せつけるのは、やはりおこがしく思われます。たとえば、ブログなど見える場所で、ノート代わりにして用語などまとめたものが、人の目にはペダントリー(衒学的)と揶揄されるかもしれない。
しかし、そう評されても学びつづけるしかないひとはそうすべきなのです。ただし、自分がよく勉強していますとうぬぼれることも、他者から賞賛を浴びることも期待してはいけない。それは孤独な学習です。

ほんとうに善良な知とは、なんなのでしょう。

いわく、たとえどんなにただしい知識であっても、日ごろ素行の悪い人間や権高な態度を隠そうともしない御仁から聞かれると,信じたくなくなるものです。また逆にきわめて謙虚な態度で道をきわめてきた学会の重鎮が説く学理ならば、ありがたいもののように拝聴したくなる。

偽善であるかを知ってなお、それを甘受するのが人の道として賢いのか。それとも、するどく批判し世の白黒はつけるべきなのか。

関係ないですが、さいきんこうした占いばやりなのは、自己分析ができず時分探ししたくなる世代が多くなったためでしょうかね。希望をもって進学し勉学にいそしんだのに、終身雇用という安定性がくずれ、会社が人生の未来と生活の安泰とを保証してくれない。自己実現の場を何に求めてよいやらわからない。
多くの情報を得ていても、自分で自分がわからないというのが、現代人の最大にして不幸な無知なのかもしれません。二十世紀初頭にひらかれた心理学がまだしも隆盛をほこり、ひとの興味を惹いてやまないのは、このためなのです。

【2008/03/21 20:11】 私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

美の装いびと─和を着るミュージアム─

ラ・ジャポネーズ


学生時代に論文の副査をしてくださった教官のご紹介で、美術館で短期間の監視員のアルバイトをしたことがあります。その施設は二階が与謝野晶子の文芸館、三階はアルファンス・ミュシャのコレクションを集めて展観させていました。私が担当したのは一階のギャラリーで、そこは二階、三階の特別展示とはことなって、こぢんまりとした催しをしていました。
私が参加した企画は、たしか大阪出身の現代版画家展で、山本容子さんの作品などが展示されていて。監視員の特権で、勤務時間終了後に期間中の展示を無料で見せていただけました。

このアルバイトの際、かなり迷ったのが毎回の服装。
公立の美術館の監視員や受付嬢は、たいがい制服を着ています。これはおそらく正式に派遣会社など通じて採用されたか、ボランティアの方だと思います。しかし、こちとら臨時の雇われ大学生。私服でいいと言われたものの、あまりにも華美で個性的なものですと、作品の横で座っていても目立ってしまいます。かといって、スーツのようなフォーマルなものでなくともよろしい。けっきょく、普段着であるけれど、多少動きやすく、しかしかつ地味にみえるものを選びました。あくまで、展示作品の印象を壊さないように。

この体験から思いついたのですが。
たとえば、よく企業などが地方で参加するお祭りイヴェントには、社員が法被を羽織ったり、女性が浴衣を着ていたりします。これとおなじで、美術館・博物館展示、とりわけ日本の文化を紹介する企画展ならば、その職員が着物を着てお出迎えするなんて、いいかもしれません。

たとえば、仏教や神道美術の紹介ならば、袈裟や巫女装束を着ておもてなししてみる。
染色作家の作品ならば、その作家の描いた文様の着物をきてみる。着物は博物館の展示では、たいてい熊の毛皮をひろげたように、衣桁(いこう)に掛けて見せています。しかし、平面的な見せ方では、服飾品のほんとうの美しさはわからないものなのです。じっさい、体のラインにあわせて、前身ごろを合わせ、裾のひろがりを閉じて、帯と調和してこそ、着物の柄の価値がわかるのです。着物は着方をまちがうと、おそろしく文様がくずれて醜くみえてしまうもの。しかし、逆にこつを押さえれば、とても美しく日本女性をみせてくれるものなのです。
かの谷崎潤一郎は『陰影礼讃』のなかで、日本女性の美は和服にあると述べています。その当時、家内をあずかる女性たちはいつも家屋の奥ふかくで暮らしていた。家にこもる闇のなかで、さらに肉体のほとんどを衣裳で覆われた彼女たち。その袖先から覗く白魚のような手や、襟からすっと伸びたうなじに、底知れぬほんのりと上品な色気を感じたというのです。
この和服の柄には、近現代絵画などの斬新なデザインをもちこんでみるのも一興。よくミュージアムショップに印象派や、ピエト・モンドリアンなどの絵画をプリントしたTシャツやタペストリーが売られていますが、もしこれが和服になったらどうでしょう。そして、それを着ている女性が、展示室にいたら?想像してみるだに、おもしろいですね。衣裳というのはじっさい着用しているモデルさんに憧れて、買ったりするものです。
親戚に呉服問屋がいて、ほんらいそこの跡継ぎであったのに、商売を厭って京都で長い修行を積み、いまやっと日展で活躍されるようになった染色作家がいます。その方は基本的にいま売れ筋のような絵柄よりも、自分の個性的な表現を追求されています。ですから、その作品のほとんどは着物ではなく、屏風仕立てにしたり、ちいさな木枠にはめて売られています。さいきんは、成人式や結婚式など冠婚葬祭をのぞいては、日常で着物を着る機会はとんとなくなりました。私の実家のすぐ側にあった呉服屋さんも、一昨年廃業されてしまいました。少子化で若者が着物に親しむ機会が減ってしまったためでしょう。嘆かわしいことです。

美術館の所蔵作品は死後五十年は経過したオールドマスターの作品ならば、版権を気にせず複製できます。もし、こうした国内外の有名作品を図案とした着物を売り出せば、いま経営の傾きつつある着物業界関係者をすくうことになります。そして、そのぶんの利益を、現代の染色作家など伝統を担う若手の育成に回せば、和服業界はふたたび活気づくのではないでしょうか。

着物を着るというのは、大和魂を着るということです。たとえば、武道などをたしなむ場合,それは必然と和の衣裳を身にまとうことになります。そして、その白い道着や紺の袴に身を縛られることによって、なにがしか精神のおちつきがもたらされるのです。日本の武道にせよ、華道、茶道にせよ、伝統文化には着物は欠かせない装いです。着物を着ることは、日本人が民族性を誇り、自国の文化を高揚する一助となるのです。そしてもし、われわれが、同時代のすぐれた染色作家たち、あるいは歴代の名画の作品を着ることがかなったら、それはすばらしいことだと感じます。また、着物は洋服と違って、裁断が平面的であるので、生地を無駄にする部分がきわめてすくなく、きわめてエコロジカルな衣裳といえましょう。
もしかしたら、すでにしてこういうプロジェクトがあるのかもしれませんが。美術館・博物館は文化の研究保存だけにつとめるだけでなく、もっとビジネスにつながる事業を,積極的に推進していっていいと私は考えています。
美しく着物を着て、美しい文化を贈りとどけたい。着ているものはモノではなく、こころです。それが私の願う最高の贈りごとなのです。



【画像出典】
クロード・モネ作『ラ・ジャポネーズ』(c. 1875)の加工画像を、名画デスクトップ壁紙美術館さまより、お借りしました。


贈りごと「Let's KIMONO(着物)コンテスト」

贈りごと「Let's KIMONO(着物)コンテスト」

【2008/03/21 07:43】 エディタ・モニタ私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

三月の風邪

また風邪をひいたようです。
かなり寒気と、嘔吐感がしています。

記事にしたいものがあるのに、いっこう進みません。


今日はそれと、ネットで検索していたらとんでもないニュースを知りました。
私がリアルに存じあげている方だったのですが。

まさか、まさか。
そういう気持ちでいっぱいです。


詳しいことはいえないですが、こういう問題って難しいですね。


もしかしたら、自分もおなじ愚かものなのかもしれません。
ここ数日来いや、あのブログをはじめたときから。


【2008/03/17 00:38】 私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

三月のありがとう

二日ほど前のことですが、某所よりよい知らせをいただきました。
二月以来の吉報でした。
しばらくメールをチェックしていなかったので、当選のことに気づきませんでした。

昨日以前から同じ作品を愛好していておつきあいのあったブロガー様から、ていねいなメールをいただきました。


先月からずっとメインブログをどうしようか悩んでいました。そして、あの場所での立場についても。
あと、もうすこしだけ存在してみます。


【2008/03/16 06:57】 私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

アクセス解析故障?

いま、なぜかアクセス解析が見れません。
故障なのでしょうか?

昨日記事にしたせいじゃないですよね?(汗)
だとしたら、すいません。

【2008/03/14 23:22】 ブログ | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

ドクターフィッシュ─人間を美しくする魚─

魚群(小)


エディタで出会ってよく通うブロガーさんで、沖縄の美しい海中風景を見せてくださる方がいる。いまは京都にお住まいなのだけれども、数年前にスキューバーダイビングをしていらして、そのときビデオに収めた映像を断片的にブログに投稿なさっている。しかも毎日ほぼ休みなく。かなり見応えがある。

さいきんは投稿動画サイトの流行で、そこから拾ったムービーばかりをやたらと貼り付けてアクセス稼ぎするふらちなブロガーが多いけれど。そうしたブロガーに出会う中で、その方のブログはとても光っていた。しかもご本人は、とても気さくで暖かいお人柄だった。
つい一箇月ほど前、私がエディタでのつきあいに息詰まりを感じはじめていて。うっかり、その方に不満を漏らしてしまったことがあったのに、しっかりとした長いメールで励ましてくださった。
私がうっかり感情がたかぶって、コミュニティのつきあいに波紋をよぶような記事を書いてしまったときも、真っ先に賛同してコメントをお寄せくださった。そして、もしエディタを退会されても、おつきあいしましょうとお声がけくださった。涙がでるほどうれしかった。こういう方こそたいせつにおつきあいしたいと願う。

しかも、この方は、横尾忠則やジャズを愛していらっしゃり、芸術通であった。音楽といっても、若い頃に武勇伝のように飾りでギターを弾いていたおじさん方とはひと味ちがっている。私はかなりの親しみを覚えた。

とあるランキンギサイトで上位ランクしている有名ブロガーさんと、毎日のようにコメント交流していた。が、自分は旅に出るのでコメ交流できない、しかしブログの更新は毎日するので訪問はかならずしてくれと要求された。旅行はあきらかに口実だとわかった。コメの応酬は疲れていたので潮時だと思っていたので、やんわりとお断りしたかったのであろう。しかし、まさかあからさまに要求されるとは思わなかった。その方は手間のかかるコメントを書くひとりのブロガーよりも、何十人のポチ応援してくれるブロガーが欲しいのだ。そして、エディタに集うひとの多くがそうだった。
私はその日からそこに通うのをやめた。しょうじき、紹介画像が借り物でワンパターンであったし、また記事の冒頭に「ランキング応援してくれ」と主張してあるのも気に障っていた。そして相互リンク先のご紹介でお茶を濁している。私がよく通う先はほとんどその方と相互リンクしていて名が通っているので一目おいているのだろう。だが、読者数やコメ数や、ランキングの順位がいったいなんだというのだろう!この一件があって以来,私は読者獲得に血道をあげてせっせと訪問していた自分がばからしくなった。そして、それに気づいたとき、今後ブログで何を書かねばならないかが見えてきた気がした。数年前に断念した、あのテーマを遂行することだった。
このブロガーさんは、私のブログに毎日通ってはくださるが、けっしてうちとは相互読者登録はしなかった。エディタは読者にしているブロガーが見えるしくみになっている。うちのようなおたくアニメブログと関わっていると沽券に関わると思っているのだろう。そういう態度がこれまでの言葉のやり取りからも感じられた。もちろん、こういう仕打ちをされた名士きどりの紳士は、この方だけではないけれど。


こういうささくれだった心を抱いているときに、先のダイバーさんの見せてくれる美しい海の動画はオアシスだった。そこに収められた魚のように生きられたら、どんなにいいだろう。私は真実、そう願う。

すこし話がずれたが、今日の本題。
ドクターフィッシュという、人間の古い皮膚の角質を食べて老化をふせぎ肌を美しくしてくれる魚がいるそうだ。正式名称は、コイ科の「ガラ・ルファ」という。西アジアに住む淡水魚で、三十七度の高温でも生息できるので、トルコの温泉にも生息している。その魚の、アトピー性皮膚炎・乾癬など皮膚病の治療効果が注目をあつめ、日本でもフィッシュセラピーとして入浴施設やエステでも導入されている。
聞けば二年ほど前にかなり人気を博し、ペットショップでは入荷直後に完売状態。てっきり手の届かぬ珍魚かと思いきや、その話題の魚がいまや、ご近所の金魚屋さんでも売られていたのだと。ただし、類似魚が出回っているので注意が必要。

主食は苔で、金魚よりも扱いやすくじょうぶであるそうだ。

指先につどって、肌をくすぐってくれる魚。その姿を思うだけでなんともいとおしいではないか。とはいえ、動画サイトで観たかぎりでは、黒い小魚がたくさん群がっていて、すこし気味悪さも覚えた。
なので、壁紙はすこし見映えがするものを無料壁紙サイトから拾ってきている。海の生態というのはよくよくみれば、イソギンチャクにせよ、珊瑚にせよ、正視しがたいフォルムではないかと、私には思える。よくある海の画像はたいがい青い海と砂浜のくみあわせだ。ゆえに、海中散歩の風景をみせてくれるのはとても新鮮であり、貴重だった。

亡くなった父は釣り好きであったが、魚の飼育も好きであった。実家の店のカウンターに並べられた水槽には、紅い金魚や熱帯魚が気持ち良さげに泳いでいた。ガラスをとんとんとつつくと、示し合わせたように指先にすいつかんばかりに身を寄せてくる。キスという愛情文化がない生き物で、ほ乳類に許された舐めるという艶かしさがない魚である。彼らの愛嬌には、いつも手入れの行き届いたその水槽の濃度とおなじくらいの、清らかさがあった。そしてまた、けっして迷いのない強い輝きのある丸い瞳は、恐ろしくあった。彼らには、このいとましい人間の世界はどう映っているのだろう。

こころを黒ずませているような感情の垢をついばんでくれる魚は、きっと私にとってはあのブログの、透き通った暖かいマリンブルーの海の底を走ってゆく魚たちなのであろう。

【参照記事】
ドクターフィッシュって、家で飼えるの?(エキサイト・ニュース〇八年三月十四日)


【2008/03/14 22:27】 私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

DTIブログの すごい アクセス解析

このブログを開設して昨日で一箇月経過。あいかわらずアクセス数は二桁台で、メインブログには遠く及ばないけれど、人目を気にせず更新できるので満足だ。
さて、当初ネタにしていたDTIブログの特質レポート。最近はすっかり書かないので、どこまで終えたやら忘れてしまった(汗)

今日のテーマはアクセス解析。
DTIブログには嬉しいことに、無料でアクセス解析サービスがついてくる。メインのgooブログにもgooホームサービスに加入すれば、アクセス解析できると聞き,喜び勇んではいったものの、そのしくみたるやまったくお粗末。gooID登録者しかアイコン表示されないし、一番読まれている記事のランクも、なぜか、その加入時に書いた、gooコミュニティ紹介の記事でとどまっている。おそらく、gooコミュニティ内でのみの検索結果ということなのだろう。がっかりしたので、最近はほとんど利用していない。

おそらくエディタやミクシィのような各ブログサービスの垣根をこえるSNSがひろまると、他サービスとのひき比べによって各社間のでき不出来がわかって客離れが増える。それを恐れて、同一ブログサービス内での結束力を高めようとする目論みなだろう。アメーバブログでもそういう動きがあると、うかがっている。私もエディタで出会って親しくなったのはgooブロガーさんが多かったけれど、さいきん、やはり初心者向けブログだなという気がしてきた。じっさい、登録して一年満たないか、ネットやブログサービスに疎いような人がことさら多い。(自分も他人のことはいえた義理じゃないが(苦笑))さらには、gooの近日追加したシステムには眉をひそめたくなるような事態がでている。とはいえ、古参ブログであるし、記事をスタッフブログなどでとりあげていただくことでアクセスアップに貢献していただいているので文句はいえない。大手は大手なりの利便・不便があるということだろうか。

さて、このアクセス解析。そのメニューは。

アクセス数
アクセス元URL
検索エンジン
ブラウザ
アクセス数推移
アクセス元ドメイン
検索ワード
ロボット
リピート間隔
携帯電話
携帯機種


なかでも、アクセス元URLとドメインがわかるのが嬉しい。一週間分しか表示されないのは残念ではあるが。
アクセス数推移とリピート間隔も、記事投下の目安になる。どの時間帯にアクセス集中するかを知るのは必要だ。その時間に投下するようにすれば、かならず見てもらえるようになる。(しかし逆にいえば、投下時間をまちまちにすることによって、読者がなんどもブログを覗かせるようにしむける戦略もありますけれどね。gooブログで投下時刻を表示させないのはそのため(笑))

それから、検索ワードというのも、おもしろい。さいきんでは、小田実、キャベツ畑というのが。私は掲載した当日のみ読み流されるものよりも、何箇月も何年も経って読まれるようなものを書きたい。こうした検索での来客のほうを歓迎している。

ブラウザというのが知って、何の役に立つかはわからない。
ロボットというのも、いまいちよくつkめていない。なにも表示されたことがないので。

先般の記事でも触れたが、いくら毎日なんども更新したとしてもいい加減なものを書いていれば、読者には飽きられてしまう。ちゃんとしたブログを書いている人はリテラシー能力が高いから、記事の最初読んだだけで、そのブログに長く付き合えるかどうか判断する。価値のないものを書いていればすぐに切り捨てられるのだ。いくらあちこち営業しても、体力の無駄だ。時間がある方はすればいいと思います。読むものがブログだけじゃない人間にとっては、なかなかブログを回るのはたいへん、たいへん。

けっきょく、ブログを相互コミュニケーションの場ととらえるか、それとも書物のようにただ一方的に情報発信すべきと考えるか。どちらかに目的はしぼられる。そして、もし後者をえらぶなら、記事を読まれやすいように工夫すべきであろう。

【2008/03/14 00:07】 ブログ | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>

見える!読める!聞こえる!着てみる!多文化練り歩きブログパーツ

ビッグベン



私の大学の先輩で、語学教室を運営しながら留学・ワーキングホリデーのカウンセラーをされている女性がいる。彼女と出会ったのは、まったくの偶然だった。学生時代、英語で論文を書いたが、雑誌に掲載する段になってネイティヴチェックが必要だったものの、近くにこれといった知り合いがいなかったのだ。ネットの翻訳サービスなどを利用すると、一文字いくらといっけん単価は安く見えるが、何千字と換算すればべらぼうに高い。しかもそれを請け負っているのは、日本人だから無理だ。なるべく、英語を母国語とする人と直接対話しながら指導してもらうのが理想。
そこで、以前に一箇月ほどお友達としてお付き合いしたオースタラリア人男性(なぜ短期で終わったかは、ひとえに私のコミュニケーション能力不足による(苦笑))と知り合えた施設を思い出した。天王寺区にある国際交流センター。そこの職員にかけあってみたものの、そういう仕事をうけおってくれる人材は紹介できないとのことだった。

私は落胆して帰途についた。論文入稿までは一箇月もない。いまから、ペンフレンド募集板で募集をかけても間に合うかわからない。困り果てた私は、ふとそのセンターから持ち帰ったビラに目をとめた。それが、先輩のK女史の経営する教室の広告であった。私はわらをもすがる想いで電話をし、そこで週に一度ひらかれる教室の講師をしているオーストリア人男性を紹介していただけたのだった。

その男性は、私の専門分野とする芸術の見識をそなえていらっしゃらなかった。ゆえに原稿にちりばめた専門用語などの理解に苦しまれ、私もそれを英語で説明するのに難渋したものの、基本的な冠詞などのつかい方以外はほぼ訂正はなく、あらかた美文だとの褒め言葉もいただけた。日本人が外国語で書くとどうしても、表現力は現地の中学生レヴェルになってしまうので、やはりネイティヴに監査してもらうのは大事なのである。その論文はぶじに刊行され、私の学生時代最後をかざる集大成的な作品となった。
その論文の添削がおわってからも、友好をあたためるために、私はその豪州人講師がひらく英会話教室にその後数回は通った。女性オーナーは気さくな方で、教室のない日にも訪問を歓迎してくれ、働きはじめで不慣れだった仕事の悩みにも応じてくれた。

その方が提案している語学留学プランというのは、ふつうの旅行代理店がもってくるお仕着せなものではなく、とても斬新なものだった。たとえば、短期留学で当地の語学学校に入学するにしても、自分で期間を自由に設定できる。またホームステイ先の条件もこちらの要望をていねいに洗い出して、最適な家庭を勧めてくれる。彼女は言う。旅をしたい人は、日本の社会をエスケープしたいという思いが募っている。そういった不満は、ありきたりのツアーなどでは解消されやしないし、逆に意に染まぬパッケージ旅行で疲れてしまうことさえありうる。まず、その人が何を悩んでいるのか、そして海外に何を望むのか聞き出すことが、先決だと。

私が訪れたある日、先客があった。二十代後半の某有名企業のエリートサラリーマンで、残業ざんまいな生活につかれ、一時の気分転換に旅行をしたいと相談してきたのだった。彼女はその顔のやつれた男性の声に真摯に耳をかたむけ、明確で最善のプランを示していた。その彼はリフレッシュして帰国後、とても満足していたと語ったという。
じつは、私も興味本位で、彼女に相談をもちかけたことがある。研究テーマにした英国現代美術の作品は日本国内にあるのを参照したが、機会があれば、ぜひとも緑の沃野やストーンサークルや、大英博物館を訪問し、イングランドの風土につつまれた鑑賞体験をと所望していた。しかし、とうじ働きはじめたばかりで貯金もなく、計画倒れに終わってしまった。

それから、ずっと海外は憧れて,死ぬまでに西欧の地、とくにイングランドの土を踏んでみたいとは思うけれど、かなわぬ夢におわってきた。だから、ときおりガイドブックやネットでかの国の情報を眺めたり、海外のアートニュースサイトで美術情報をキャッチするのみにとどめている。

さて、前置きが長くなったが、本題にはいろう。
さいきん、ブログパーツが流行っているが、もし地球の歩き方ご提供のパーツがあるのなら、各国アートの歩き方というのが欲しい、正確にいえば、各国の現在開かれている美術館・画廊での展示情報が流れてくるもの。もしくは、各地の文化遺産の映像がおくられてくるもの。もしくは演劇やコンサート、アートフェアの日程など。
よく、辞書機能検索のブログパーツを見かけるが、翻訳機能がついたパーツがあったらうれしい。これは、ブログの記事で英文サイトを翻訳したりするときに便利だ。もしかしたらすでにあるのかもしれないけれど。
また、ブログパーツというのはひたすら視覚にうったえるだけで、音がでるものはなかったように思う。なので、たとえばドイツならオペラであるとか、べートーヴェンであるとか、東欧ならハンガリーの民謡であるとか、はたまたイギリスならビートルズであるとか、音楽が流れてくるのがいい。私はとくにイングランドの民謡でGreensleeves(メインブログの拙稿「Greensleeves ─愛しい人よ、あなたは間違っている─」をご参照あれ)が好きであるけれど、あまりポピュラーでない民族音楽が配信されるというのは、一種の音楽教育にもなっていいのではないだろうか。もちろん日本の唱歌や童謡もふくまれていいだろう。
また、名文学の一節が原語で日替り配信されてくるのも、ちょっとした勉強になる。英語のリスニングが毎日五分でもつづければ、一年後にはかなり聞き取れている状態になるのとおなじで、毎日すこしずつ名作になじめば、ちょっとした文化通になれるのかもしれない。
またよく、ブログ上の仮想人格としてのアバターを見かけるが、各国の民族衣裳を着せ替えっこできたりできるのも、おもしろいかもしれない。タータンチェックにバグパイプをもっているケルトの民族衣裳などまとってみたり、またヴァイキングのいでたちをするのも乙なもの。

以上の点を総合的にまとめると。ブログパーツから仮想のミュージアムやギャラリーへ通され、自分の分身がそこを練り歩くような感覚を体験でき、かつ作品にあわせてBGMが流れたり、音声ガイドで二カ国語の解説を聞くようなこともできる、ということだろうか。電子情報が扱えるのは、視聴覚情報にかぎられてくるのだけれども、いずれ触覚や味覚にうったえるようなインフラが登場できるのかどうか楽しみである。触感という点では、球体のスイッチを動かすと、スクリーン上もそのとおり動いたりつぶれたりするゲームを、数年前に見かけた覚えがある。おそらく、おおくのひとが求めているのはいながらにして海外体験できるという疑似感覚ではあろう。

思いつくままに、希望のブログパーツを列挙してみた。

人はいまの眼前にひろがる景色を変えたくて旅をする。どこか遠くへ、別の文化へ、新しい場所で太陽を拝み,月を崇めたくて。でも、それは逃げをつくることではない。ひとまわり大きくなって帰ってくるために、広い舞台をもとめるのだ。そしてそのスペースはもちろんネットの地政学では、とほうない距離をつかみ、だだっぴろい大地を歩むことができる。そんな楽しみ方ができる、ブログパーツが私はほしい。


「地球の歩き方」(http://www.arukikata.co.jp/)

【2008/03/12 18:41】 エディタ・モニタ私事記 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0) top>>